冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜


「そんな青白い顔して、立ってるのもやっとのクセに強がっちゃって」
「……見てたの?」

美琴がすぐに手を伸ばし、麻子の肩を抱く。久しぶりに会う女友達の心配そうな気遣うような手のひらに、不意に涙が溢れそうになる。

「ごめん。でも、麻子、ちょっとかっこよかった」
「ばか」

一度溢れそうになった涙を堰き止め、美琴の肩を軽く押した。

「私が長期出張に行ってる間に、麻子が大変なことになってるの知ってさ。心配で顔を見に来たの。辛かったね」

今度は小さい子供を励ます母親みたいにそんなことを言うから、せっかく堰き止めた涙がこぼれ落ちてしまう。

「私の方でもいろいろ情報を集めたから話したいこともあるけど、人に聞かれたくない話だし。今日、麻子の家に行くからその時ゆっくり話そう」
「忙しいのに悪いよ」
「何言ってんの。麻子より忙しい人間はいないよ。ほら、麻子の課まで送ってくから」

そう言って美琴が優しく麻子の背中を押した。


 その夜、遅い時間にも関わらず約束通り美琴がアパートにやって来た。どこかの店ではなく麻子の部屋にしたのは誰にも聞かれないためだ。おかげで人目を気にせず何でも吐き出せる。美琴の心遣いに感謝する。

「……え? ちょっと待って。色々、急展開過ぎて頭が追いつかない。別れたって、嘘でしょ?」

本題に入る前に九条との関係が終わったことを美琴に伝えると、美琴がそのまま絶句した。

「……どうして、って聞いていい?」

長い沈黙のあと、美琴が気遣うように尋ねて来た。

「結局、私が欲張りになっちゃったんだよね。課長にも同じように愛してもらいたいなんて。そんなこと望んだって虚しいだけだったのに。それで、辛くなって自分から飛び出した」

そう言葉にしていたら、喉の奥が詰まるように痛む。

「それで、九条課長は? 課長も別れることに同意したの?」
「うん。私が辛いなら付き合っている意味がないからって。最初からわかってたし多くを望まないようにしてたつもりなのに、あの人にとってその程度だったって改めて実感して傷つくとか、ばかだよね」

美琴が真剣な眼差しでじっと見つめる。

「私には、九条課長にとって麻子がその程度の存在だったとは思えない。九条さんもちゃんと麻子のことを大切に想ってると思うよ? でなきゃ、必死に麻子のこと守ったりしないよ」
「……守る?」

美琴が頷いた。

「出張から戻ってみたら、麻子が副社長の娘から九条さんを奪ったって話になってるもんだからびっくりして。すぐに、どんなことになってるのか手当たり次第同僚に事情聴取した。そうしたら、どうやら副社長の娘が自分からそうやって吹聴してるってことがわかって」
「うん、それは知ってる」

法務部の女子社員に呼び出されて、責められたばかりだ。

「じゃあ、その目的は知ってる?」
「はっきりとは知らないけど……」
「河北すみれの目的はただ一つ。麻子を精神的に追い詰めて退職させること」

美琴の言葉に妙に納得した。

すみれが自らそんなことを言って回って得られる結果はそれしかないだろう。

“女を武器にして出世した“というレッテルより、"人の婚約者を奪った"ことの方がより非難に値する。それに相手は副社長の娘だ。大きなダメージになる。

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