冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「相手は、副社長の娘。本当なら大問題だよ。なのに、麻子は上から呼ばれた?」
「……それは、ない」
「よく考えてよ。あの女、被害者ぶって同僚にそんなこと言ってるくらいだよ? 父親にあることないこと言って、泣きついてるに決まってる。副社長なら、ただの平社員の麻子のことなんてどうにでもできる」
美琴の言う通りだ。部長やその上から呼び出されてもおかしくない。なんて事をしてくれたんだと、叱責の一つを受けるところだろう。
周囲の視線や言葉に疲弊していて、そのことに全く気が回らなかった。
「でも、そうなっていないのは、それは全部、九条さんが押さえ込んでるかららしい」
「……押さえ込んでる?」
「そうだよ!」
美琴が麻子の肩を強く掴む。
「副社長はもちろん、副社長派の幹部たちにも頭を下げて、事実無根だと釈明して回ってるのは九条さんなんだって。だから、あんたのところに上司は誰一人何も言ってこないのよ」
そんなこと、知らなかった。
「麻子、インドネシア赴任も決まってるでしょ? 麻子の人事を握ってるのは幹部。陰口叩いてる同僚なんてただの妬みだから放っておけばい。それより本当に怖いのは幹部だよ。その大きな相手から麻子を守ってるのは九条さん。麻子の後輩の男の子、今朝、課長が麻子を守ってないなんて言ってたけど、そんなことないのよ。それを証拠に、どれだけ誹謗中傷されても、麻子の地位は今、無傷でしょ?」
美琴の言葉を聞きながら、頭の中をぐるぐると九条の姿が駆け巡る。
「うちの課長、勝手に九条さんにライバル心燃やしてるからさ。ここぞとばかりに、今日も嬉しそうにペラペラ喋ってたよ。『九条が幹部にあんなに叱責されてるのも、熱心に頭下げるのも初めて見た』って」
課長が……?
「私……何も知らなかった。だって、課長は私に何も言わないし、一言も責めない。こんなことになったのも全部、私のせいなんだよ? 結愛と伯父が会社に乗り込んできたりしたから。私と関わったりしなかったら、こんなことになってないのに……っ」
同僚たちだけではない。自分の知らないところでもまた、九条に迷惑をかけていたのだ。
「全部、麻子が大切だからでしょ!」
熱を帯びた美琴の目が真っ直ぐに麻子に向けられた。
「私には、九条さんが考えてることの半分も分からない。でも、麻子は一番近くにいたんだよね? 私よりずっと九条さんのことを知ってるはずだよ?」
勝手にとめどなく涙が溢れてくる。
「もし、本当にこのまま別れることになったんだとしても。麻子は九条さんと付き合って、すっごくいい女になった。一人の女性としても、働く女性としても。それって、九条さんの影響だよね? 成長できた恋なら、それは絶対いい恋だったんだよ。どうして、麻子自身がそうやって胸張って言えないの? その程度だなんて言えるのよ」
「……そうだよね」
誰より一番、九条を信じていなければならなかったのはこの私だ――。
九条には、たくさんのことを教えてもらった。
仕事はもちろん、女としても。いろんなものをくれた。そんなこと、ちゃんと分かってる。分かっていたのに。
「私は絶対に言えるから。麻子は九条さんに愛されてたって。そんなの、麻子を見てればわかるんだから」
なぜか美琴まで泣いている。鼻水を垂らしながら訴えてきた。
「だから、絶対。最後はハッピーエンドなの! 河北すみれと結愛親子なんかに妨害されてたまるか!」
もう、美琴は、泣いてるのか怒っているのか分からなくなっていた。