冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
仕事から帰宅して、アパートに着いたばかりの22時過ぎ。祐介からの着信があった。
よりを戻そうと言って来た日から、かなり時間が経っている。一体、またなんの用件なのか。出ることに躊躇いがあったが、なんとなくこの電話には出なければならないような気がした。
「……もしもし」
(久しぶりだな)
祐介の第一声は、酷く落ち着いたものだった。
(結愛のこと。麻子は、男に頼ったんだって? そうだとしたら、麻子も落ちたもんだなと思ってさ)
「何の話?」
その声は、落ち着きを通り越して、どこか嘲るようなものに聞こえる。
(俺の知る麻子は、何でも自分で解決する自力した女だった。でも、今の麻子は、面倒なことは男に何とかしてもらうんだな。あの人、麻子の上司なんだろ? 男に金出してもらって解決して。恥ずかしくないのか?)
「だから、何の話かって聞いてるのよ!」
結愛とは直接話をしていない。
まったく話が見えない。
(は? 何も知らないの? 結愛がホストに狂って、多額の借金背負ってヤバい状態だったってこと)
え……?
――俺の家を出て行った後、初めて行ったホストクラブで一人のホストに入れ上げたみたいで。自分では付き合ってるつもりだったみたいだけど、ホストにしてみれば客の一人でしかなかった。最後に残ったのは膨れ上がっていたツケだ。その男に風俗に行けって言われるところまで落ちた。そこで初めて目が覚めて。でもそのツケは、到底自分の力だけで払えるものでは無かった。もちろん結愛の親も。
(それで、麻子に泣きついたんだろう? でも、なぜか麻子の男が全部払ってくれることになったんだって。東京は自分には向かないとかなんとか言って、地元に帰るって言ってたよ)
祐介の話を聞きながら、スマホを握り締める手が震えていた。
(麻子が男に頼んだじゃないのか?)
九条は、話し合いで追い払ったと言っていた。でも、現実は違ったのだ。
結愛たちは九条に一体いくら出させたのだ。
どうして、九条はそんなことをしたのか。
別れた女のために、どうしてそんなこと――。
(麻子は、経済力のある男が良かったんだな。だから俺と別れたんだ。俺は本当に麻子とやり直したかった。なのに、あんなにすぐに次の男を作ってさ。結局、金かよ。そんな理由だったのかって思ったら、なんか、興醒めした)
何も知らなかった自分が、悔しくて虚しくて、どうしようもなく情けなくて。そして、悲しくてたまらない。
(……おい、聞いてんのか?)
「――そんなこと言いたくてわざわざ電話してきたの?」
(は?)
「でも、ありがとう。大事なことを知ることができて良かった。感謝するよ。それと最後に一つ。もう二度と連絡してこないで」
通話を切り、スマホをぎゅっと握りしめた。そして、そのまますぐに結愛に電話をかけた。
「一体、あの人にいくら出させたの? どれだけ迷惑をかけたの!」
冷静になんていられなかった。電話口に結愛が出るなりそう叫んでいた。
(いきなり何?)
「あんたが、私の会社に来た日のことだよ。全部、言いなさい!」
(……麻子ちゃん、どうして知ってんの? 誰に聞いたのよ。私、麻子ちゃんの彼に口止めされてんの。麻子ちゃんにバラしたら、全部無かったことになっちゃうんだけど)
迷惑そうに結愛が言った。
「祐介から聞いたの。祐介に話したんでしょう?」
(……あのバカ。私に甲斐性なしって言われたのが、そんなに腹立ったのかな。その腹いせで麻子ちゃんに伝えるとか、ほんと、器のちっさい男だね)
「そんなことより、九条さんに何を言ったの。何をしてもらったの」
“私から聞いたって絶対に言わないって約束するなら話す“
そう口にして、ようやく話し出した。
(本当は麻子ちゃんにお金借りようと思ったんだよ? 麻子ちゃんの彼に出してもらおうなんて考えても無かった。それを、あの人が勝手にしゃしゃり出てきただけ。『何の用でこんなところまで乗り込んで来たんだ』って聞かれたから、ちょっとお金に困っちゃってって、そう話しただけよ。そうしたら、全額負担するから二度と麻子ちゃんに連絡するなって言われた。だからその約束ちゃんと守ってたのにー!)
そんな――。
「全額って、一体、いくら……なの?」
もう、どんな話も聞くのが怖かった。
(ん? んー……500万)
絶句する。