冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
(ねぇ、聞いてよ。本当に酷いの。付き合ってる時は甘い顔して、お金なくなったらどんどん巻き上げてくんだよ? 払えなかったら身体売れとか、信じらんない。そんなの払わなくていいって思ったんだけど、なんか、法的には支払い義務があるみたいなことになってぇ。本当に困って、結愛どうなっちゃうのかって、本当に怖かった)
「……ふざけないでよ。ホストで遊んだ金なんて、自分でなんとかしなさい。なんでもかんでも頼らないで! あんたはもう子供じゃない)
結愛にここまで怒ったことはなかった。それに多少は驚いたのか、結愛の声が小さくなる。
(……麻子ちゃんの彼と誓約書交わしてるの。二度と麻子ちゃんと関わらないって。だから、もう麻子ちゃんには近づかない。パパもその約束に同意してる。この件は麻子ちゃんは関係ないよ。うちと九条さんとの約束事だもん。だから、麻子ちゃんにとやかく言われる筋合い、ない)
顔を手のひらで覆う。
一体、どうすればいいの?
(麻子ちゃん、良かったね。あんないい人見つけられて。やっぱり、大人の男の人って頼り甲斐があってかっこいいよね。相手の男と話をつけてくれて、全部うまいこと処理してくれたんだよ)
「もう、あの人と私は何の関係もない。完全に無関係。二度と九条さんに関わらないで」
(え? 別れたの?)
「そうよ。わかった? もしこの先もあの人に迷惑かけるようなことしたら。私、何するかわからないよ? もう失うものなんて何もないんだから」
(そ、そんなこと言われなくてもわかってる。麻子ちゃんこそ約束守ってよ? そうじゃないと、二週間後、500万円振り込んでもらえないから。そうなったら、私、本当に地獄に落ちちゃう。私みたいなフツーの子が、風俗なんて、考えられないでしょ?)
二週間後って、まさか……。
二週間後はもう日本にいない。インドネシアだ。
インドネシアにさえ行ってしまったら、もう結愛たちも簡単には接触してこれない。そう考えたのか。結愛たちから解放させるために。
不意に美琴の声が浮かんだ。
『今は無理でも、東京を発つ前にもう一度自分の気持ちを九条課長に伝えてみたら?』
そんなこと、できるわけなかったのだ。
私と関わっている限り、課長に迷惑をかけ続けることになる――。
どれだけ嫌でも、結愛とも伯父とも血のつながりを完全に断つことはできないのだ。
そのことを思い知る。
どんな約束があろうと、あの親子は、何かあればすぐに他人にたかる。むしり取れるところからむしり取ろうとする。そういう人間たちだ。この先また、どんな迷惑をかけてくるかわからない。
そんな重荷を抱えた自分が、誰かのそばにいようとするのは間違っている。
全てを背負うべきは、私だ――。
このまま離れるべきだ。
畳に付いた手の甲に、涙がポタポタと落ちて行った。
そんな時、九条の言葉が浮かんだ。
“明日からはもう泣くな。“
思い切り目を腕で擦る。ただ、何度も涙を拭った。
泣いてる場合じゃない。
これからどうするか。
500万という大金を、このまま知らぬ顔して九条に払わせたままでいいのか。
九条に事実を知ったことを告げて『私が払います』と断りに行くべきではないのか。
でも、九条が全てを秘密裏にしていたということは、九条なりの考えがあってのこと。果たして九条は納得してくれるのか。
……わからない。
答えが出ないまま、翌日を迎えた。