冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜


【壮行会がなかったので、代わりに課長が壮行会してください。場所は主賓である私が決めました。何時でもいいので来てください。可愛い部下のめでたい海外駐在ですから、課長として激励するのが義務ですよ!】

……という、ふざけたメッセージを九条のスマホに送ってしまった。

 指定した場所は、そんなふざけた文面とは対照的なシティホテルの一室。こんな場所を指定してあの人が来るのかどうか、本当は結構怖い。

でも、どうしても暗い場所が良かった。

どうしても。

 もう一度スマホのディスプレイを見る。

時刻は21:15 ――。

返事はない。

 窓際に立ち、東京の夜景を見つめた。都心の夜景は地上と空の境目を際立たせる。この部屋は煌めくネオンの上にある空の闇の中にある。だから、眩いばかりの灯りは部屋には届かない。

 二日後には東京を発つ。もう、当分ここに帰って来る予定はない。

プロジェクトが終われば、一事業として今度は管理部門に引き継がれる。そうなれば、もう九条と関わることは無くなるだろう。
 少なくとも、ここを離れれば、もう個人的に九条と会うことなんかないのは事実だ。完全なる管理職と一社員という関係になる。

だから、お願い。ここに来て――。

無意識のうちに手を握りしめていた。


 そっと窓際から離れた。

 部屋に備え付けられたソファと、ローテーブル。そのテーブルには自分で買ってきたビールの缶が2本並ぶ。

 ここに来ないということは、密室、それもホテルなんていう場所で二人きりになるつもりはないという九条の意思の表れなのだろう。確かに、別れた女とそんなことをすれば、要らぬ誤解を与えてしまうかもしれないと考えても無理はない。

「……だから、あんな風に軽いノリでメールしたんだけどなぁ」

悲しみで埋め尽くされそうな心を誤魔化すように、静かな部屋で冗談混じりの独り言をこぼす。

「来てくれたっていいじゃない。この前は、家まで来て抱きしめてくれたのに、なんで今度はダメなの? なんなの?」

スーツのジャケットを脱ぎ、肩まで伸びていた髪をぐしゃぐしゃにした。

「一人で、壮行会しちゃうから。あの鬼課長め。ドS、アンドロイド!」

何かを喋っていないとどん底の気分になりそうで、ひたすらに喋り続けている。

「最後くらい、その殻破りやがれ!」

次第に興奮してきて、そんなことを叫んでみても。

「……どうしても話がしたかったんだってば。言いたいことあったのに……」

結局、この声は萎んで。誤魔化していた言いようもない切なさが胸を押し潰す。


 その時だった。再び静かになった部屋に、呼び鈴の音が響いた。

「課長……?」

今のいままで暴言を吐いていたことなんて忘れて、ドアに駆け寄る

「……はい」
「九条だ」

来て、くれた――。

来てくれた。

< 225 / 252 >

この作品をシェア

pagetop