冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「――おお、中野。今月からこっちなんだってな」
本社オフィスビルに足を踏み入れると、どこからか声を掛けられた。その声の方に視線をやると、同じ課の先輩だった田所がいた。
「お久しぶりです。東京に戻って来ました」
「あ、"中野"なんて呼び捨てにできねーな。そうですよね、"課長“」
その歪んだ笑みに構うことなく、「プライベートでは、中野でどうぞ」と微笑み返した。
「……結局。あの九条さんより早く課長になるんだろ? ホント、ふざけてるわ」
それが田所の本音。
「麻子!!」
ちょうどいいところに美琴が現れた。
「久しぶりの本社はどう? また、ご飯行こうね……って、どうしたんですか? そんな顔して」
きゃっきゃと麻子の手を取って喜んでいた美琴が、田所の存在に気付く。
「おまえも、よくそんな風に笑えるな。圧倒的に先を越されて」
その田所の言葉に、美琴が笑みを消した。
「そんなの、特段珍しいこともないですけど? 麻子がどれだけ向こうで実績上げて来たか、説明するまでもなくご存知ですよね? 当然の人事では?」
「はいはい、ちょーゆーしゅーな麻子チャンなら当然です」
そう捨て台詞を吐いて、田所は立ち去った。
「……ほんと、あの人、どうしようもないよ」
美琴が大きく溜息を吐く。
「あんまり、変わってないみたいだね」
「平のまんまよ。だって、仕事できないんだもん。そんなことより! 麻子、課長昇進おめでとう! 本当に凄いよ」
心からの美琴の笑顔に、どこか救われる。
「ううん。向こうでの現地スタッフの力も大きかったの。課長なんて、責任重くて不安だけど頑張るしかないよね」
嬉しさより、不安の方がずっと大きい。
「大丈夫。丸菱の誰もが麻子の能力はわかってるから。あれだけのプロジェクトを軌道に乗せ、より大きくしたこと、社内で評判になってた。その若さで立派なこと。だから、堂々としていいの」
熱くそう語る美琴の目が優しくなる。
「九条さんの見る目は間違ってなかったこと、ちゃんと証明してきたね。麻子の力で」
麻子の肩をポンポンと叩いた。
「だから、ちゃんと九条さんに会っておいで?」
「美琴――」
「麻子を送り出した上司だったんだから、挨拶に行くのは当然でしょ?」
美琴がイタズラっぽくそう口にした。