冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜


「……藤原から聞いたんだ。君に唐沢専務から見合いの話が来ていると。悩んだ結果見合いをすることにしたってな」
「藤原さん……?」

九条が麻子の手を握りしめたまま顔を向ける。

「もちろん、見合いをしても断る権利はある。でも、専務からの話ならそんな簡単でもない。君なら、見合いをすると決めたらその話を受ける覚悟もしているだろうと思った」
「藤原さんは、どうしてそんな作り話を……」

九条の話に驚きを隠せない。あの時、藤原は何も言わなかった。まさかそんなことをするなんて思いもしなかった。

「俺があまりに不甲斐ないから。自分では君のために身を引けると思っていたが、他人から見たら全然違っていたんだろうな。バカな俺に居ても立ってもいられなくなったんだろう。ついさっき、君が見合いをすることを有川さんから聞いたと、わざわざ藤原が俺に言ってきたんだ」
「美琴? 美琴までその話に噛んでいたんですか?」

ただただ目を丸くする。美琴と話していても何も気づけなかった。

「全部、俺のせいだな」

そう言って、九条がふっと笑う。

「今、まさに、君がどこの誰か分からない見合い相手に取られるかもしれないと思ったら、衝動的に何もかも放り出して飛び出していた。こんなに走ったの、久しぶりだ」
「……そんなに慌てなくても。お見合いをしたところで、私が断られる可能性だってある」

九条のらしくない慌てようにおかしくなって笑ってしまう。そんな麻子の顔に手を添え、九条が真っ直ぐに見つめて来た。

「君は自分がどれほど魅力的かわからないのか? 会ったら最後、何があっても手に入れようとするだろう」

九条の眼差しに熱が籠る。

「今となっては、君を手放したままでいられた自分の忍耐に恐れ入る。でも一方で、君に会うのが怖くて仕方なかった。一目見たら、自分の決意なんてあっという間に揺らいでしまう気がして。だから、本当は君の帰国祝い、行かないつもりだったんだ」

確かに、最初は九条は来られないと聞いていた。

「なのに、どうしても会いたくて、麻子の姿を見るだけでいいって、空港からタクシーに飛び乗ってた」

夜風が優しくふたりを包む。

「一週間前、君と話したとき。本当は君を抱き寄せてしまいそうで危なかったんだ。だから君をすぐに戻らせた。とっくに限界だった」

今ならわかる。その眼差しが何を語っているのか。どれだけ自分を求めてくれているのか。

「麻子……」

甘く囁くような声に引き寄せられる。

「誰のものにもならないでいてくれて、ありがとう」
「九条さんも」

冷たい唇が重なって、すぐに熱を帯びる。
三年前に感じていた、胸が締め付けられる恋の苦しさが蘇る。

恋が苦しいものだと初めて知った。全部九条に教えられた。キスするたび、嬉しくて苦しくて切なかった。

「……会社でキスなんてする人だと思わなかった……」

長いキスの後、唇が離れたと同時に息を乱してそう(こぼ)していた。

「俺だって、こんなことする人間だとは思わなかった。君とが初めてだ」

額を合わせて笑い合う。

「……好きです。あなたが好き。大好きです」
「こんな場所でそんなことを言うと、身に危険が及ぶぞ。俺の身体はただでさえ長い時間耐えてきているんだ」

九条の唇が麻子の耳元へと移り、身体ごと引き寄せた。

「――君を今すぐ連れ帰って、今すぐ抱きたい。……いい?」

それはもう麻子の願いでもあった。

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