冷徹上司の氷の瞳が溶ける夜
「これから、唐沢専務のところに、見合いすることを了承すると返事をしに行くんじゃないのか……?」
「……それ、誰の話ですか?」
唐沢専務? 見合い? 一体何のことだ。
「だから、君のことだ。唐沢専務から見合いの話があったんだろう? 君がそれを受けることにしたと聞いた」
「そんな話、まったく知らないです。だって、私、今、九条さんのところに行こうとしてたんですよ」
「え……?」
お互いを見つめながら、共にはクエスションマークを大量に発する。
「じゃあ、君は、見合いしないんだな?」
「そんな話ないですし、そんな予定もありません!」
九条を見上げ声を張り上げた。
「……なら、あいつの言っていたことは、全部嘘……」
「あいつって……」
特大のため息を吐いた後、九条が頭を振る。
「九条さん……?」
俯いたと思ったら、突然笑い出した。
「やられた。騙された」
「どういうことですか?」
全然話が見えない。
「俺としたことが、人の話を疑うこともなく、考える前に走り出していた。理屈で考えていたことなんて、何の役にも立たなかった。本能を誤魔化すことはできないんだな」
九条が麻子の頬を両手で包み、目を優しげに細めて囁くように言った。
「そんなことも土壇場まで気付けない、どうしようもないバカな男だ。それでも、俺を選んでくれるか?」
「私は最初から、どんなあなたでもいいです。九条さんも、私でいいんですか?」
九条がどうしてこんなことになったのか、事の経緯はまだ理解できないけれど、その答えに変わりはない。
「君がいい。君しかいない。俺が最初で最後、愛した人だ」
急転直下の出来事に感情はまるでジェットコースターだ。
でも今は、
とにかくこれが現実だと分からせてほしい――。
エレベーターが最上階へと辿り着く。九条がそっと麻子から身体を離すとその手を取りエレベーターを降りた。
「――ここ、一人になりたい時、時折来る場所なんだ」
そう言って連れて来られたのは、間接照明だけの屋上テラスだった。植栽がとこどころに施され、夜の闇の向こうにネオンが輝く。
「こんな場所、会社にあったんですね」
「まあ、ほとんどの社員は知らないだろうな。最上階は、役員のフロアだから。こんないい場所を使う者は誰もいない勿体無い場所だ。だから、俺が使わせてもらってる」
そう言って、麻子をベンチに腰を下ろさせるとその隣に九条も座った。