壁にキスはしないでください! 〜忍の恋は甘苦い香りから〜
「んっ……!?」
「葉名に触れるなっ!!」
何が起きたかわからない。
そう思うより前に、依久の唇は離れていた。
青色の波が押し寄せ、依久を葉名から引き離す。
「くっ……」
「蒼依く……えっ!?」
手を掴まれ、葉名の足は勝手に走り出していた。
耳まで真っ赤になった後ろ姿から目をそらせない。
この色を知っている。
何故なら葉名の耳もまた、同じ色をしているだろうから。
溢れ出す涙が後ろへと流れていった。
ざわめきたつ里の声など、耳にも入らなかった。
世界でただ二人、走るときの短い息遣いだけが耳に届いていた。
***
里の奥にある森を駆け、小さな滝が水と水を叩きつける。
滝の裏側にある小さな洞窟に入り、暗がりの中に大きな背を見る。
少しずつ息が長くなっていき、心臓の音がやたらと聞こえてきた。
(力が強い。振りほどけない)
「蒼依くん。……こんな山へと入って何を。里の者が不審に思います──」
そんな言い訳がましい葉名の言葉に、蒼依はカッとなって振り返る。
「何を思われても構うものか! 真面目なふりをするのはもうやめだ!」
「――んっ!? ん……んぅ……」
水音が鼓膜を震わせる。
青い瞳はまつ毛に伏せられて目にすることが出来ない。
鼻をくすぐるのは、甘いだけではない苦みがある匂い。
――抗えない、魔の匂い。
唇が離れると強く抱きしめられ、洞窟の壁との間に押しつぶされる。
やさしさと痛さに涙が溢れた。