別れが訪れるその日まで

19 イケメンの照れ顔

 戻ってきてくれたお姉ちゃん。
 それはとても嬉しかったけど、同時に崖の上から覗くもう一つの顔を見て、心臓が跳ね上がる。
 
 し、紫苑君!? お姉ちゃん、まさか紫苑くんを連れてくるなんて、いったいどうやったの?

 気になったけど、紫苑くんがいる今尋ねるわけにはいかない。
 そしてそんな驚く私をよそに、紫苑君は身を低くして、ジャンプする体勢を作る。……って、まさか。

「今そっちに行くから」
「待って。まさか飛び降りる気!? 危ないよ!」

 けど紫苑君は返事をせずに、ためらいなく地面を蹴った。

 きゃ────っ!

 声にならない悲鳴を上げたけど、落ちてきた紫苑君は膝を曲げて綺麗に着地する。
 だ、大丈夫? 足、折れてないよね?

「あ、あの。紫苑く……」
「芹さん!」
「──っ!?」

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。
 両手を背中に回されたと思ったら、そのまま抱き寄せられた。

 えっ、えっ? ひょっとして私、紫苑君に抱き締められてる?
 きゃああああっ! 待って待って待ってー!

「芹さん……良かった、無事で」
「お、大袈裟だよ。ちょ、ちょっと足を捻っただけだもの」
「大袈裟なんかじゃないよ。どれだけ心配だったか……」

 今にも泣きだしそうになるのを、グッとこらえているような顔。
 こんな紫苑君、初めて見た。……ううん、違う。前に一度だけ、こんな彼を見たことがあった。

 あれはお姉ちゃんの葬儀の時。
 本当は自分だって泣きたいのに、必死に涙をこらえながら、私を抱き締めてくれていた紫苑君。あの時と、同じ顔をしている。

「もしも芹さんまで奈沙ちゃんみたいになったらって思ったら、気が気じゃなかったんだから」

 その言葉を聞いて確信する。
 ああ、そうか。紫苑君はあの日のお姉ちゃんと私を、重ねてるんだ。

 お姉ちゃんの死は突然だった。
 いつもと同じように学校でお話しして、明日もまた会えるはずだったのに。
 あまりに突然に、無慈悲に命は奪われた。

 私だって同じだ。たまたま足をひねっただけで助かったから良かったものの、打ち所が悪かったらどうなっていたか。

「ごめん、心配かけて」

 頭を下げようとすると、コツンとおでこ同士がぶつかった。

 ……そういえば私達、すごい至近距離。
 喋ったら息が掛かるほどすぐ近くに、紫苑君の顔がある。

「あ、あの。心配かけちゃったのは本当に申し訳ないんだけど、大丈夫だったんだし。そ、そんなにくっつかなくても、平気だから」
「あっ……」

 近すぎる距離に気づいたのか、慌てて手を放された。

「ご、ごめん。つい」
「い、いいよ。そ、それより、これからどうしよう?」

 恥ずかしさをごまかすために話を反らしたけど、本当どうしよう?
 紫苑君は来てくれたけど、問題はこの崖。どこか上にいける場所があればいいんだけど。

「乗って」
「へ?」

 見ると紫苑君は、こっちに背中を向けて屈んでいる。
 けど、乗ってって。

「僕が背負って、崖を登るから。早く乗って」
「えっ……ええ──っ!?」

 人一人背負ってこの急な崖を登るなんて、そんなことできるの?
 それに紫苑君におんぶされるなんて、恥ずかしすぎる!

「い、いいよ。私重いもん」
「平気。早くここから抜け出さないと、助けに来た意味が無いよ」

 うっ、確かにその通り。
 せっかく来てくれたのに、ここで駄々をこねて迷惑かけたんじゃ申し訳ないよね。

「わ、わかった。でも、本当に重いから。もしも無理だったら、すぐに下ろしてね」
「僕ってそんなに頼りなさそうに見える? これでも鍛えてるつもりなんだけどなあ」

 紫苑君は不満そうにしているけど、腕は細いし本当に平気かなあ?
 とりあえず言われた通り、彼の背中にピタッと張り付くように、体を預ける。
 直に体温が伝わってきて、こそばゆい。

「しっかり掴まっててね。大丈夫、絶対に落とさないから」
「う、うん」

 本当言うと落ちるかどうかより、密着していることの方がドキドキなんだけど。
 紫苑君の体は、しばらく会わない間に大きくなっていて、さっきは細腕だけど大丈夫かなあなんて思ったけど、とんでもない。
 彼の背中からは、たくましさしか感じなかったあ。

 けど落ちる心配はなくても、他の事が気になっちゃう。
 たくさん汗かいてるけど、匂わないよね。さっきまでは喉が乾いて何か飲みたかったけど、今は水よりも制汗剤がほしい。

 そんなことを考えている間に、紫苑君は崖を登り始める。
 ロッククライミングって言うのかな。
 崖のあちこちにある少しの出っ張りやくぼみに手や足を引っ掛けて、少しずつ上へと登っていく。

『紫苑君、頑張れー!』

 上からお姉ちゃんの声が聞こえるけど、それよりも、ドキドキする心臓を静めるのにいっぱいいっぱい。
 私の胸は、紫苑君の背中に押し当てられているけど、とひょっとしてこの心臓の音、紫苑君に伝わってる?

 こんなに密着してるんだもの。きっと伝わってるに決まってる。
 ああっ、恥ずかしい。今だけは心臓を止めたいよ!
 だけど胸の音は静まるどころかさらに大きくなり、その間に紫苑君は、少しずつ壁を登って行く。

 すごいなあ。きっと私だったら、怪我がなくても半分も登れなかったのに、人1人おんぶして登るだなんて。
 昔は私と同じで、運動が苦手なインドアだったのに、ずいぶん大きくなっちゃって。

 そうしてとうとう私を背負ったまま、紫苑君は崖を登りきった。

「つ、ついたー!」

 おんぶしていた私を下ろすと、紫苑君は大の字に倒れる。
 息を切らして、とても疲れた様子。すいすい登っているように見えたけど、やっぱり大変だったんだ。

『紫苑君お疲れ様。芹も、戻ってこれて良かった』
「あ、ありがとう紫苑く……って、ああ! 手、怪我してるよ!」

 見れば紫苑君の手の平に、血がにじんでいるじゃない。
 紫苑君は「あっ」と声をもらすと身を起こして、慌てて両手を背中に隠す。

「平気、大したことないから」

 そう言われても、メチャクチャ痛そうだったんだけど。
 無理もないか。この崖を登ってきたんだから、あちこち擦りむいて当然。きっと痛いのを我慢して登ってたんだ。

「まって。たしかズボンのポケットの中に絆創膏が……」
「いいよ、これくらい何とも……」
「いいから見せて!」
『そうだよ。大人しく治療されなさーい!』
「……分かった」

 お姉ちゃんの声が聞こえた訳じゃないだろうけど、差し出してくれた彼の手に、絆創膏を貼る。

「ごめんね、無理させちゃって。そういえば、どうして私がここにいるって分かったの?」
「石元さんが教えてくれたんだよ。芹さんが崖から落ちて、動けなくなってるって」
「石元さんが?」

 あの石元さんが私を心配して、教えたってこと? なんか意外。
 いや待てよ。石元さんは私が森に行ったのは知ってても、崖から落ちたことは知らないはず。私以外に、その事を知っていたのは……。

 そっとお姉ちゃんに目を向けると、慌てたように両手を合わせる。

『ごめん。緊急事態だったから、石元さんの体借りちゃった。けどおかげで紫苑君を呼んでこれたんだから、いいでしょ』 

 やっぱり、憑依して言わせたんだ。もう、憑依はやっちゃダメって言ってたのに。
 けど仕方ないか。そのおかげで、助かったんだしね。

「僕からも聞いていい? 芹さんはどうして、こんな所まできたの? 石元さんは、命令したって言ってたけど」
「えっと、それは。借りてた帽子を、取られちゃって……」

 何があったか話すのは告げ口するみたいで嫌だったけど、ここまで巻き込んだのに説明しないわけにはいかない。
 帽子を取られて、返してほしければ花を探してくるよう言われたことを話すと、紫苑君は目を丸くする。

「待って。それじゃあ帽子を取り返すために、こんな所まで来たの?」
「ごめん。自分で何とかしなきゃって思って」

 でもその結果、紫苑君まで巻き込んじゃったんだから目も当てられない。
 きっと呆れているよね。

「芹さんらしいと言うか、なんと言うか」
「ううっ、ごめん。本当にごめん」
「別に怒ってるわけじゃないよ。何だか、芹さんらしいなあって思って。芹さんは昔から、責任感強かったからねえ」
「そ、そうだっけ?」

 そうなのかな? 自分じゃよく分からないや。
 それに責任感が強いのは、私よりもむしろ……。

「責任感が強いのは、紫苑君の方じゃない。こんな所まで、私を探しに来てくれたでしょ」

 先生に任せておけばいいのに、わざわざ自分で探しに来たのがいい証拠。
 きっと話を聞いて、放っておけなかったのだろう。紫苑君、優しいもんね。

「……別に、責任感で来たわけじゃないから」
「へ?」
「好きな子が怪我して動けないなんて聞いたら、普通は放っておけないでしょ。だから来たんだよ」
「えっ。あ、ああ、そうだね。本当ごめん、心配かけて……」

 大きくペコリと頭を下げたけど、そのままさっきの紫苑君の言葉が、頭の中でリピートされる。

 ──好きな子が怪我して動けないなんて聞いたら、普通は放っておけないでしょ。

 ──好きな子が怪我して動けないなんて聞いたら……。

 好きな子が……好きな子が……おや?

 ガバッと頭を上げると、目の前には紫苑君の照れ顔があった。
 右手の甲で口元を隠して、顔は耳まで赤くなっているじゃない。それには、乙女心をくすぐる可愛さがあった。

 さすがイケメンの照れ顔。破壊力は抜群。
 って、そうじゃなくて!

「い、今。す、好きって……」

 ボンッ!

 頭の中で、何かが爆発した。
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