出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
 ソワソワと仕事をし、ついにその時間になった。

「私、銀行に用事あるんだった。先に二人でご飯食べてて」

 深雪はそう言うとそそくさと部屋を出て行ってしまう。
 もしかして深雪は自分が龍をどう思っているか知ってる? と一瞬考えるが、そんなはずはないかと小さく首を振って打ち消した。

「龍さん。お昼、取られますか?」

 パーテーションの向こう側でパソコンに向かい難しい顔をしていた龍に、実乃莉は声を掛ける。
 龍は愛用の腕時計を確認すると、「もうこんな時間か」と席を立った。

「じゃあ、昼にするか」
「では温めてきますね」

 社長室にある冷蔵庫から自分と龍の弁当を取り出すと、実乃莉は給湯室にあるレンジに向かう。
 熱くなりすぎないよう気をつけ弁当を温める。温める機能だけの簡易なレンジは、今どき珍しくチンっと音を鳴らして止まった。

(これくらいでいいかな?)

 保冷剤を取り出したランチバッグに弁当箱を入れ直すと、実乃莉はまた社長室に戻る。
 緊張でドキドキしながら部屋に入ると、龍はテーブルにお茶二本置いて待っていた。

「お待たせしました」

 実乃莉は龍の向かいに座ると弁当箱を取り出す。真新しいネイビーの弁当箱は二段になっていて量は充分入るが、これで足りるのか足りないのか検討もつかない。

「あの……。どうぞ、召し上がってください」

 おずおずと実乃莉が差し出すと、龍は目を細めて柔らかな表情を浮かべた。

「悪いな。作るの、大変だっただろ?」
「そんなことないですよ。大丈夫です」

 大変だったとはかけらも思わなかった。それどころか、夢中になり過ぎて時間を忘れていたくらいだ。誰かのために何かをすることが、こんなにも幸せなのかと思うくらいに。
 龍は弁当箱の蓋を開けると、現れた弁当をじっと眺めている。どうしたのだろうかと不安に思っていると、顔だけ上げて実乃莉を見た。

「写真。撮っていいか?」

 そう言うと実乃莉が返事をする前にスマートフォンを操作していた。

「こんな綺麗な弁当、残しとかなきゃ勿体ないよな」

 眩しいくらい笑顔を向け、龍はそう言ってスマートフォンをかざした。
< 56 / 128 >

この作品をシェア

pagetop