出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
 考えごとをしながら電車に乗り、最寄り駅からスーパーに向かう。実乃莉は歩きながら、周りの様子を伺った。

(今日はいない……?)

 実乃莉はここ最近、ずっと誰かに見られているような気がしていた。それは特に、帰宅途中の家の近所で感じることが多かった。
 けれど、実乃莉にとってそれは初めての経験ではない。世間にその名を知られている家の娘である実乃莉は、過去何度か、記者を名乗る人物につけられたことがあった。だからこそ清廉潔白に、羽目を外すようなことはあってはならないと周りから言われて育ったのだ。

(まさか……瞳子さん?)

 しかし、龍との交際を匂わすような行動はしていない。社員全員に裏を取ったとしても、おそらく全員が違うと答えるだろう。

「いったい誰が……」

 不安を感じながら歩く実乃莉はポツリと呟く。
 きっと考えていても答えは出ないだろう。龍に明日相談してみよう。そう思いながら実乃莉はスーパーに入った。


 翌日。事務の仕事は閑散期とも言える時期だが、他の社員は相変わらず忙しそうだ。
 朝からあちこちで助けを求められた龍は、定位置の自分のパソコンの前にいることのほうが少なかった。

「ちょっと客先で話し拗れてるっぽい。俺、行ってくるわ」

 龍がそう言い出したのはお昼前の時間だった。

「今出てるの、原田さん? 客先ってSSに無理難題押し付けたから切られたところよね。うちが渋々引き取ったのにまだやってるの?」

 兄が経営し、元々は自分のいた会社の事情をよく知っているのだろう。深雪は呆れ果てたように息を吐いた。

「そうだ。担当変わったはずなんだがな。俺の弁当はちゃんと残しとけよ? 深雪」

 急遽出ることもある龍は、こういうときのために会社にスーツを置いている。すでにそれに着替えいて、上着だけ手に持つと深雪に言った。

「よまれてたか。私の弁当と入れ替えちゃおうかと思ったのに」

 深雪は冗談混じりに笑いながら返している。

「見りゃバレバレだろ。とりあえず行ってくる」

 いつもの飄々とした様子で龍は扉へ向かった。

「いってらっしゃい」

(今日は一緒に食べられないのか……)

 少し寂しく思いながら実乃莉は龍の背中に声を掛けた。
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