出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
「――では、相手に心当たりはないと言うことですね?」
「はい。若い男性だと思いますが、声も聞いたことはありませんでした」

 実乃莉は病院の一室で制服姿の警察官に事情聴取を受けていた。
 階段はほんの数段だったが、端を歩いていなかったせいで掴まる場所もなく、不自然な体勢で転げ落ちた。
 救急車で運ばれ病院で手当を受けていると、鉄道会社から通報を受けた警察官が病院にやって来たようだ。
 骨に異常はなかったものの酷い捻挫で、左足首には包帯は痛々しく巻かれている。それが目に入るだけで余計に痛みを感じてしまいそうだった。

「他に特徴などは?」

 警察官はメモをとりながら淡々と尋ねる。実乃莉はそれに、記憶を辿りながら答えた。

「服装は全身黒っぽい服装で、これと言って特徴は……。あと……私の交際相手の名前を出して、別れろと……」
「交際相手、ですか?」

 警察官は表情を変えることなく言った。こういったトラブルはきっとよくあることだろう。そんな感じが見受けられた。

「では、そのお相手は……」

 警察官がそう切り出したとき、部屋の引き戸が勢いよく開いた。

「実乃莉‼︎」

 会社を出たときと同じスーツ姿で、龍はハァハァと息を切らせている。

「あなたは?」

 先に尋ねたのは警察官だ。龍は息を整えると相手に向いた。

「すみません。彼女の勤める会社の社長をしています、皆上龍です」
「あぁ、あなたが。鷹柳さんのご家族が不在で、代わりに連絡を入れさせてもらった。今彼女に話を聞いているところです」

 実乃莉は、自力で歩けなかったため乗せられていた車椅子の上から、二人の様子を眺めていた。
 龍はよほど急いでいたのか、額に汗が滲んでいる。そんな龍を見て、実乃莉は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 今は家に誰もおらず、親戚に連絡が入り大事になるのも気が引けた。だから頼れる人といえば龍しか思い当たらなかった。

「えーと、皆上さん。伺いたいのですが、彼女に交際相手がいることはご存知ですか?」
「交際相手?」

 龍は訝しむように言葉を返す。
 
「ご存知なければ結構です」

 それとなく流そうとした警察官に龍は「いえ」と短く答えた。

「彼女と交際しているのは私です。どうしてそのようなことをお聞きに?」

 唸るような低い声で静かに尋ねる龍に、警察官は淡々と「そうでしたか」と答えたあと続ける。

「では、今回の事件にあなたも関連していると思われますが、心当たりは?」
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