出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
「あぁ」

 実乃莉がシートベルトを外し、体の向きを変えると、龍の向こうでスーツ姿の男性が鍵を受け取っていた。

「そういえば、遠坂とは初めてだったな。こいつは、俺の昔からの友人で、なぜか深雪と結婚してる遠坂(とおさか)(こう)。で、俺の親父の秘書やってる男だ」

 龍とはまた違った雰囲気のある遠坂は実乃莉に会釈をする。実乃莉は同じように頭を下げた。
 龍が獅子のイメージなら、遠坂は黒豹を思わせる。背は龍よりほんの少し低いだけ。黒い髪を後ろに撫で付け、伶俐という言葉がぴったりのその顔に掛けられた銀縁眼鏡が凄みを増している。

「初めまして。鷹柳先生にはなにかとお力添えいただき、ありがとうございます」

 ビジネスライクに言う遠坂に、実乃莉はいつものように立って挨拶しようと身を乗り出してしまう。

「実乃莉、動くな。遠坂も、そんなお堅い挨拶するなって」

 呆れたように龍が言うと、決まり悪そうに遠坂は眉を顰めた。

「そぉよ。そこは、妻がお世話になって、が正解だと思うわよ?」

 深雪も一緒になって言うと、遠坂は「確かにそうか……」と、気落ちしたように口にしていた。
 もっと冷たいのかと思ったが、意外と表情はわかりやすく、実乃莉は呆気に取られながらその様子を伺った。

「とりあえず、遠坂は先に門を開けてくれ。深雪はこれ、持って」

 龍はテキパキと指示を送ると、実乃莉の膝にあったバッグを掴む。遠坂は言われたように門へ向かい、深雪は龍からバッグを受け取っていた。

「じゃ、実乃莉は俺に掴まって」

 龍は実乃莉に近づくと、その前で少し屈む。どう考えても掴まる場所はその広い肩しかなく、実乃莉は慌ててしまった。

「だっ、大丈夫です」
「大丈夫のわけないだろ。ほら、遠慮するな」

 頰がカァッ熱くなるのが自分でもわかる。さっきは車に乗せられた一瞬のことだったが、きっと今度はそうはいかないだろう。

「実乃莉ちゃん、遠慮せずガツっといっちゃいなさい?」

 龍の肩の向こうを見上げると、深雪がワクワクしたような顔をしてニヤリと笑っていた。

(深雪さん、絶対気づいてる……)

 いたたまれない気持ちになるが、それでも深雪に反対されていないと思うと少しホッとする。

「では……失礼します」

 そう言うと、実乃莉はおずおずと龍の両肩に手を添えた。
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