出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
「もうちょい、ちゃんと掴まって。体、浮かせるか?」

 一人ドキドキする実乃莉をよそに、龍はいつも通りの口調で言う。

「はっ、はい」

 意を決して、実乃莉は龍の首にしがみつき、右足をドアの縁にかけ腰を浮かす。龍はゆっくりと体を起こすと、そのまま実乃莉を抱き上げた。

「深雪、ドア閉めといて」

 龍は実乃莉を抱き抱えたまま深雪に言うと、スタスタと歩き出す。
 実乃莉は、その目線の高さと揺れの恐怖に我を忘れて龍にしがみついた。

「ちょっとの辛抱だから、我慢してくれ」

 龍の喋る声と振動が実乃莉に伝わり、心拍数は上がっていく。龍の首元からはスパイシーで甘い香が強く漂い、それに酔ってしまいそうだ。
 恥ずかしくて肩に顔を埋める実乃莉を龍は軽々と家まで運ぶ。玄関先では遠坂が鍵だけ開けて待っていた。

「家に入ってもいいか?」

 龍の顔は見えず、声だけ聞こえる。実乃莉はそれに「どうぞ」と答えた。
 玄関の引き戸を開けると広い三和土が現れる。そこに入ると自動で灯りが点灯した。龍に続き、遠坂と深雪が玄関に入るとカラカラと戸が閉められる。

「すぐ左手の部屋は応接間です。ご自由にお使いください」
「じゃあ、遠慮なく。一度下ろすな。大丈夫か?」

 さすがに実乃莉を抱えたままでは靴を脱ぐのも簡単ではない。はいと返事をすると、龍は実乃莉を抱えたままその靴を脱がし、せり出した式台の上にそっと体を下ろした。

「左足、まだ力入れるなよ。掴まってていいから」

 龍は実乃莉を気遣うように腕を差し出す。それに遠慮がちに掴まっていると、靴を脱ぎ式台に上がった龍と視線がぶつかった。
 さっきまでしがみついていた実感がいまさら湧き、その瞬間、実乃莉の頬は染まった。
 けれど……。

(……どう、して……?)

 龍の態度を見て実乃莉は動揺していた。目が合うと龍はなぜか気まずそうに顔を背けたからだ。

(やっぱり……嫌、だったのかな……)

 好きでもない相手にしがみつかれて、そう感じたのかも知れない。そんな考えがジワジワと広がり、実乃莉はまだ掴まっていた腕から離れようと先に痛みのある足を床に付ける。
 覚悟していたぶん、まだ痛みに耐えられた。悟られないように俯いたまま、実乃莉は腕から手を離した。
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