出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
 本当はまだかなり足が痛んでいることなどお見通しで、念を押すように言ってから深雪は部屋を出て行った。
 深雪は間違いなく龍を呼びに行ったはずだ。深雪の話ぶりから、自分が嫌がられているわけではないと思う。けれど、どうしてあんなに気まずそうだったのか、考えたところでわからなかった。

(ちゃんと……聞いてみよう……)

 これから数日、龍の世話になるのだ。自分に至らないところがあるなら直そう。実乃莉は固く決心した。

 しばらくすると、部屋の扉がノックされる。遠慮気味に扉が開くと、隙間から龍が顔を覗かせた。

「実乃莉。入って……いいか?」

 ためらうように尋ねる龍に、実乃莉は「どうぞ」とだけ答える。龍は扉を開けると、自分の身長より低い扉を屈むようにして入ってきた。
 自分の部屋に龍がいるのは、なんだか不思議な気分だ。昔から変わり映えのしない質素な部屋。あるのは学習机にしていたテーブルや、大学で使っていた教科書やパソコンソフトの手引書の入る書棚に簡易なチェスト。可愛らしさなどカケラもなく恥ずかしくなってくる。
 龍は実乃莉のそばまで来ると、一瞬居心地悪そうに視線を外す。やはり自分が何かしたのだろうかと肩を落とす実乃莉に、龍は向くと静かに尋ねた。

「隣……。座っていいか?」

 実乃莉は、見たこともない表情の龍を見上げたまま、「は……い」と口にする。
 いや、これに近い顔を実乃莉は見たことがある。そのときは、ほんの少しだけ肌が赤く染まっていた気がする。でも今は、明らかに耳まで赤くなり、照れ隠しのように苦い表情を浮かべていた。
 龍は実乃莉の座るベッドまで来ると、その横に座る。重みでマットレスが沈むと、肩が触れてしまいそうな距離に。
 龍は前を向いたまま、自分の膝に両腕を乗せ、自分の顔を覆うと大きなため息を吐いた。それでも、それを不安に感じないのは、さっきの表情を見たからだろうか。
 実乃莉は、隠しきれていない紅潮した横顔に話しかけた。

「あの……。龍さん?」

 問いかけられた龍は、一度手で自分の顔を擦ってから顔を上げた。とは言え、実乃莉を見ることができないのか、前を向いたまま。

「その……。さっきはごめんな。遠坂には小言を言われたし、深雪にはむちゃくちゃ叱られた」

 そう言ってから、龍はようやく実乃莉に向いた。
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