絶対に結婚したくない令嬢、辺境のケダモノと呼ばれる将軍閣下の押しかけ妻になる
 マティアスに近づけたと思っていたのに、そうじゃなかった。
 そう思うと辛くて、醜い感情を吐き出すことが止められなっていた。

「だったらそうはっきり言ってくださいっ! 本当は、侯爵の地位をかさに押しかけてきた私に、ずっと迷惑してるしうんざりしてるって……! 本当は今日、迎えに来るのも嫌だったって! 連れて帰りたくなんかないって! そうしたら私、女官だってやるわっ!」
「フランチェスカ!」

 エミリアが遮るように声を挙げて、次の瞬間、パチンと頬が鳴った。
 一瞬なにが起きたかわからなかった。ビックリして目をぱちくりさせると、エミリアが右手をぎゅうっと握りしめたまま、ぷるぷると震えている。
 どうやら頬を打たれたらしい。左の頬がぴりぴりと痺れていた。十八年間生きてきて、親にぶたれたのは生まれて初めてだった。
 エミリアは震え、戸惑いながらも、白い手でそうっとフランチェスカの手を取る。

「……どうして急にそんなことを言いだしたの? 感情にまかせてそんなことを言ってはだめよ、フランチェスカ。旦那様に謝りなさい」

 母も兄も本当の意味で、フランチェスカがマティアスの妻になっていないことを知らない。
 だからフランチェスカの本当の焦りがわからないのだ。

「だって……だってっ……」

 フランチェスカは唇を震わせながら、マティアスを見つめた。
 マティアスは怒ってなどいない。
 彼の美しい緑の瞳は、相変わらずキラキラと輝いていて、気遣うようにフランチェスカを見つめていた。

(ああ、私はずるいわ……)

 疎ましく思っているのならそう言って――。
 そう口ではそう言いながら、マティアスは絶対にそんなことを言わないだろうと頭ではわかっていた。
 そう、マティアスは優しい。
 わかっていて彼を困らせるようなことを口にしたのだ。要するに駄々をこねたのである。
 なぜ自分なこうなのだろうと思うと、恥ずかしくて胸が締め付けられる。

(恥ずかしい)

 みじめで苦しい。
 うつむくと、フランチェスカの青い瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
 一粒こぼれるともう抑えられなかった。まるで河川が決壊したかのように涙が後から後から、零れ落ちてくる。

「ごめんなさいっ……」

 フランチェスカは消え入りそうな小さな声でそう言うと、いてもたってもおられず、応接間を飛び出したのだった。
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