絶対に結婚したくない令嬢、辺境のケダモノと呼ばれる将軍閣下の押しかけ妻になる
燃える夜
 短い春はあっという間に過ぎ去り『シドニア花祭り』の開催を十日後に控えたフランチェスカたちは前夜祭の準備に追われていた。
 前夜祭は完全に領民主導の企画で始まった、花祭り前にシドニアを楽しんでもらおうというイベントである。
 町の中心のあちこちでは、すでに植え替えを終えたスピカが色とりどりに咲き誇り、薄いピンクからグリーン、ブルー、朝焼けのような薄紫のグラデーションが帯のように広がっていた。
 中央広場にも出店が軒を連ね、フランチェスカたちがお芝居をする予定の大型テントもほぼ組み立ては終わっており、前夜祭に出演する大道芸人が、それぞれ楽しげに練習を重ねていた。

 そんな中、フランチェスカとマティアスの芝居の稽古も、今日が最後の練習になった。
 といっても、マティアスにはほぼセリフがないので、あくまでも立ち位置の最終確認程度だが。

『――ギルベルト殿』

 男装したフランチェスカは、床に寝ころんだまま、情感たっぷりにマティアスに向かって手を伸ばす。

『……なぜあなたは僕を助けてくださったのですか?』

 フランチェスカの指先には、マティアスがたくましい大樹のように立っていた。
 フランチェスカ演じるフーゴは士官学校を卒業したばかりの青年将校で、身分の高さからいきなり五百人の大隊を任される。だが戦況はあまり芳しくなく、フーゴは味方のミスで敵国に捕らえられてしまう。
 窮地を救ってくれたのは部下のひとりであるギルベルト。彼はごく少数の手勢で敵国の砦に乗り込み、フーゴを救出する。
 そんなオープニングのこの場面は、敵の捕虜になったフランチェスカ演じるフーゴが、助けにきたギルベルトに問いかける大事なシーンだ。

『あなたは貴族である僕を、憎んでいるのではないのですか……?』
『――』
『なにか言ってください、ギルベルト殿』

 マティアスは無言でフランチェスカの前にひざまずき、体を支える。
 こちらを見おろす緑の瞳は、黙っていても様になる。

(マティアス様……やっぱりそこにいるだけで雰囲気があるわ)

 フランチェスカはそんなことを思いつつ、ニコッと笑った。
< 145 / 182 >

この作品をシェア

pagetop