甘い罠、秘密にキス
井上さんの視線が微かに鋭くなった。ボソッと「許せない」と呟いたのも、私は聞き逃さなかった。
分かりやすく怒りを見せる彼女に、焦りが募る。
桜佑はモテる方だとは思っていたけれど、ここまで強く好意を寄せている人が、こんなにも近くにいるなんて知らなかった。
「井上さん、それは誤解で…」
本当のことを言うか、このまま隠し通すか。究極の選択だった。
もしここで真実を伝えてしまえば彼女は傷付くだろうし、余計に怒りを買ってしまうだろう。
けれどもし嘘をついて、後に本当のことがバレた時、彼女をもっと傷付けることになるし、これから仕事をしていく上で信頼関係を失うと思った。
どちらにしても穏便には済ませられないということだ。それならば、私は本当のことを言いたい。
「実は彼とは…」
「それとも、日向リーダーには本命の彼女がいて、佐倉さんは浮気相手ってことですか?」
「いや、だから…」
「私、絶対に認めませんから」
どうしよう、驚くほど話す隙を与えてくれない。一方的に話を進められて、彼女の怒りがどんどんヒートアップしていく。おまけに若干涙目になっている井上さんを見て、ギョッとした。
私が彼女じゃないのなら、井上さん的にはそれでいいのじゃないかと思うけど、どうやらそういう問題ではないらしい。
好きな人に彼女がいるというショックと、私みたいな女と浮気までしているという衝撃に、感情を処理しきれないのだろうか。
「井上さん!」
ドリンクをぎゅっと握りしめ、休憩スペースに響き渡るくらいの声で彼女を呼んだ。
ハッとした井上さんは、キョトンとした顔で私を見上げる。
「私と日向リーダーは」
婚約しているの──これ以上何を言っても伝わらないと悟った私は、意を決して、ハッキリと伝えようとした。
けれど──、
「あ、井上さん。こんなところにいたんすね~」
言い切る前に、ふいに聞こえてきた声に遮られ、慌てて口を閉じた。
井上さんとほぼ同時に声のした方へ振り向くと、そこに立っていたのは、噂を流した張本人、スピーカー男の大沢くんだった。