甘い罠、秘密にキス
その言葉だけで満たされて、会いたいという気持ちは消えてなくなった。桜佑と同じように、こんな時間から来て欲しいなんて思わないし、なによりゆっくり休んで欲しいから。
こういう時、昔みたいに近所に住んでいたら、ありもので何か作るとかそんな器用なことは出来ないけれど、差し入れくらいは出来たのに。
そういえば井上さんは同じ社宅に住んでいるんだっけ。しょっちゅう顔を合わせたりするのだろうか。
気になるけど聞けない。急に井上さんの名前を出したら、桜佑も戸惑うだろうし。
「…とにかく、いっぱい食べて早く寝た方がいいよ。ていうか、熱はないんでしょうね」
「体感的にはないし大丈夫だろ。これも栄養ドリンクの効果だったりして。てことは、お前のお陰か」
たかが栄養ドリンク1本で喜ぶ桜佑にまた笑みが零れる。桜佑の言葉って、ひとつひとつがどうしてこんなにもあたたかく感じるのだろう。
「休んでる暇はないのかもしれないけど、あんま無茶しないでね」
『分かってる。とりあえず今日は薬飲んで寝るわ』
──あ、これ終わるやつかな。
受話口の向こうで、桜佑がゴソゴソと動いているのが分かる。作り置きしているおかずを探しているのか、冷蔵庫を開ける音も聞こえてきた。
そろろそろ切らなければと思うのに、なぜか「また明日」「おやすみ」の言葉が喉元で詰まって出てこない。
とくに話題があるわけではないし、早く電話を終わらせて休ませてあげたいという気持ちはある。
でもそれ以上に、もう少しだけ繋いでいたいという気持ちの方が強かった。
「…桜佑」
『ん?』
もう少し繋いでいてもいい?──勇気を振り絞って、その言葉を口にしようとした時だった。
受話口の向こうで、ピンポーンと無機質な呼出音が聞こえた。