甘い罠、秘密にキス
そのあと私達は暫くの間抱き締め合っていたけれど「そろそろ行かなきゃね」と私が声を掛けたのを合図に、他愛もない話をしながらゆっくりと改札に向かった。
「ちゃんと薬飲めよ」
「うん、分かった。ありがとうね」
桜佑はこのあと予定があるから反対側の駅のホームへ行かなくてはいけないため、改札を過ぎてすぐに別れた。
けれど電車を待っている間、反対側にいる桜佑とふいに目が合って、思わず小さく手を振ると、桜佑は手を振り返す代わりに優しく目を細めた。
通勤時間帯の駅には沢山の人がいるのに、なぜか桜佑ばかり目に入ってしまう。そこで無意識に目で追っていることに気付き、慌てて視線を逸らした。
けれど、すぐに頭に浮かんだのは、やっぱり桜佑の笑った顔だった。
(…なんだか朝からほっこりしちゃった……早く家を出てよかったな)
本当に短い時間だったけれど、思わず笑みが零れてしまうくらいには、楽しい時間を過ごせた。
そのお陰か、この時には胸の奥のモヤモヤも、キリキリとした胃の痛みもなくなっていて。それどころか、井上さんの存在すら記憶から薄れていたけれど───…
「日向リーダー、こちらの書類に目を通していただけますか?出来れば早急にチェックして欲しいと、課長が…」
──まさか井上さんの攻撃が、まだまだ続くなんて思っていなかった。
会話だけ聞いたら普通に仕事の内容なんだけど…なんか昨日より、ボディタッチが増えている気が…?
「日向リーダー、少しご提案が」
「わーすごい、さすが日向リーダー」
「部長が、今度日向リーダーも一緒に飲みに行かないかって仰ってました!勿論私も参加します」
こ、これは明らかに狙っている。本気で桜佑を堕とそうとしてる。
井上さんのメンタルは一体どうなっているのだろう。
桜佑に彼女がいることは知ってるはずだし、それどころか昨夜桜佑は井上さんより“彼女との電話”を優先したというのに。
あわよくばセフレでいいから近付きたいってことなのかな。
ていうか、たまに胸が当たってるぞ。桜佑の腕に、井上さんの大きな胸が当たってるぞ!
「あのふたり、怪しいわね」
「わっ…!」
後ろからぬるっと現れた煮区厚さんが、例のふたりを捉えながら「まさか…彼女が噂のお相手かしら…?」と呟く。
困ったぞ…また変な噂が流れたらどうしよう。