甘い罠、秘密にキス

頭では分かってんのに、口から出るのは意地の悪いものばかり。それでも俺の相手をしてくれるところは昔と変わっていなかった。

二週間ほど一緒に仕事をして、伊織が相変わらず真面目で優しいやつだってことは分かっていたけど、久しぶりに伊織の優しさに触れて、改めて好きだと感じた。

しかもムキになって勝負を引き受けるところも変わっていない。今まで俺に勝てたことなんかないくせに、本気で勝てると思って乗ってくるところがまた可愛い。

この俺に酒で勝てるわけねえじゃん。皇にどれだけ鍛えられたと思ってんだ。

そして案の定潰れるし、勝負に負けたからと“婚約しよう”と言う俺に素直に頷く潔さな。

そこがまた可愛いんだけど、今までよく変な男に騙されずに生きてきたなと思う。……いや、騙されてたか。あの藤とかいう男に。


伊織を傷付けたあの男を、俺は一生許さない。だけど、俺が伊織にしてきたことも同じなんだよな。むしろトラウマになったのは俺のせいでもあるし。

伊織には謝っても謝り切れない。だけど伊織はこんな俺を許してくれて、むしろ俺の苦労に気付いてあげられなくてごめんと、俺の全てを受け入れてくれた。

俺よりも何倍も男前で、とにかく心が広い。こんな良い女、他にいるだろうか。伊織を思い続けて良かったと心から思える。

だからもう過去のことは考えない。それよりも今を大事にしたいから。







「伊織」

「うん?あ、ちょっと待って。いま集中してるから」


隣で必死に卵焼きを作っている伊織を、じっと見守る。

どうやら今日は俺に弁当を作ってくれるらしく、だけどひとりで作るのは不安だからと、隣で見ていてほしいとお願いされた。

朝からキッチンで格闘する伊織を、珈琲を飲みながら見つめる。真剣な横顔が死ぬほど可愛い。


「な、なんかフライパンにくっ付いて上手く出来ない!」

「油足さねえと」

「え、焼きながら足すの?!忙しすぎない?!あ、やだ焦げちゃう!」


…死ぬほど可愛い。

< 306 / 309 >

この作品をシェア

pagetop