結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
 予告なく突然実家である伯爵家に帰って来たベルは、

「やっほー、無事婚約破棄してベルただいま帰還しましたー!」

 と開口一番に楽しげにそう言った。

「はぁ、また突然だな」

 出迎えた伯爵に丸めた書類を投げ渡したベルは、

「はい、これお兄様にお土産。とりま、これで取引滞ることないから。いやぁ、流石に公爵領突っ切らずに迂回路だと運送費と関税ヤバすぎてお話にならないもんね」

 と交渉結果を報告する。

「……この件は気にしなくていいって言っただろうが」

「そういうわけにはいかないでしょうよ。商売はスピード勝負よ? それに、お義姉様の予測が正しければ、災害に備えて早めに備蓄の買付けしておいた方がいいでしょ。保険は多い方がいい。取るに足らない事で争ってる時間が勿体無い」

「取るに足らないって……そんな顔してよく言う」

 伯爵は大きなため息を吐くとベルの頭にバサっとタオルを投げつけた。

「ちょ、お兄様!? 何して」

 頭からそれを被ったベルは抗議の声を上げるが、伯爵はそれに構わずタオルの上から乱暴にベルの頭を撫でると、

「優秀過ぎる俺の妹に感謝と敬意を」

 優しい声でそう言った。
 兄にそう言われたベルは急に緊張の糸が切れ目頭が熱くなる。
 そこにゆっくりとした足取りで2階から降りてきたベロニカが、

「ベルさんおかえりなさい。ホットミルクはいかがですか? 蜂蜜もたっぷり用意してますよ」

 と声をかける。
 タオルをかけられたまま立ち尽くすベルの肩を軽く叩いた伯爵は、

「ベロニカ、悪いけど出てくる。ベル頼んだ」

 ベルの戦果を手に、そう言い残して出て行った。

「やーねぇ、お兄様ったら。別に婚約破棄は最初から決まっていた事だし、大した事じゃないのに」

 本当、大袈裟なんだからとそう言うベルの声が震える。
 ベルの声を聞きながら少し背伸びをしたベロニカはベルを優しく抱きしめて子どもをあやすようにその背をさする。

「大丈夫ですよ、ベルさん。おかえりなさい」

「お義姉様も大袈裟」

「大丈夫です。もう、大丈夫なんです」

 気を張らなくていいんですよと優しい口調でそう言われ、ベルは自分の目から涙が溢れている事にようやく気づく。

「……ぅっ………っつ」

 声にならない嗚咽を漏らし、唇をきつく結ぶ。
 目を閉じて浮かんで来るのは、自分が傷つけた濃紺の瞳。

「ああああああああー----」

 もう2度と会えないその人を想ってベルは堰を切ったように声を上げ、泣き崩れた。
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