結婚しないために婚約したのに、契約相手に懐かれた件について。〜契約満了後は速やかに婚約破棄願います〜
「こー普通、こういう場合勧誘成功するじゃないですか! 納得しかねます」

 むぅっと拗ねながらココアを飲むベルのそばでルキは、

「ベル、フラれたな」

 と苦笑しながらベルが淹れてくれたコーヒーを口にする。
 あの後ベルはユランから正式にスカウトを断られた。理由は夢だったブライダル業界で働きたいから、との事でキラキラと夢を語る彼を前にベルは手を引かざるを得なかった。

「まぁ、いいんじゃない? ベルの友人が希望する進路に歩み出せたんだから」

「そーですけどぉ。そーなんですけどぉ」

 やさぐれたようにちびちびとココアを飲むベルは不服そうにそう言ったあと、

「まぁでもドレスのお直しのアルバイトは引き受けてくれたので良しとします」

 と将来的な約束を取り付けた事を嬉しそうにルキに報告した。

「そっか、よかったね」

 ルキはベルに優しく笑いかける。そんなルキをじっと見たあとベルは、

「……ルキ様」

 と控えめに彼を呼ぶ。

「何?」

「ありがとう、ございました。おかげで学祭無事に終えられて、ユラン君のドレス見れたし、ウェディングドレスなんて一番縁遠いものも着れたし」

「おー珍しくベルが素直」

「感謝してる時くらいちゃんといいます」

 失礼なと抗議するベルにクスッと笑ったルキは、

「綺麗だったよ、ベルのウェディングドレス姿」

 と感想を述べる。
 本当に綺麗だと思った。それを着て颯爽と歩くベルのエスコートしていた手を離すのが惜しいと思うくらいに。

「お世辞でも嬉しいです。きっと一生着る事なんてないでしょうから、アレが最初で最後ですね」

 いい思い出になりましたと清々しく話すベルに、

「……着たいなら、着せてあげようか?」

 とルキが尋ねる。
 『今』は誰とも結婚する気がないというベルが、『いつか』は真っ白なドレスを纏って誰かのモノになるのは嫌だとはっきり思ってしまった。
 そんな事、契約婚約者にいう資格はないのだけれど。

「え、ダメですよ!」

 とベルに即答され、ルキは地味に凹む。そんなルキの心情など知らないベルは、

「由緒ある公爵家だから、きっと公爵夫人とかの婚姻のドレス歴代取ってあるんでしょうけど、そんな大事なもの部外者に気軽に貸し出しちゃダメですって。ルキ様変なとこ大らかなんですから」

 あ、でも見るだけなら見たいかもと楽しそうに言葉を続ける。

「やっぱりドレスは鑑賞するに限る! そして"可愛い"を楽しめる女子を増やして稼ぎます!!」

 次の夜会も楽しみですねと言ったベルの言葉に、吹き出すように笑ったルキは、

「本当にベルは逞しいな」

 とそう言って濃紺の瞳をベルに向ける。
 ベルのおかげで社交も夜会も随分楽になったし、なんなら彼女を連れて歩く時間を楽しみにしている自分がいる。

「頼りにしてる」

 ルキはとても安心したように柔らかく表情を崩し、外で見せる姿からは考えられないくらい優しく笑う。
 そんなルキを見て息を飲んだベルはすくっと立ち上がると、

「走ってきます」

 一気にココアを飲み干して、急にそう宣言した。

「は? 今から? じゃあ俺も」

「体力ミジンコのルキ様と走っても楽しくないので、ひとりで行って来ます」

「ひどっ」

 俺そんなに体力ない? と抗議するルキを置いてベルはランニングシューズを片手に部屋を出る。

「……はぁ、あんまり信頼しないで欲しい」

 最初の警戒心どこにいったのよとベルはため息をついて走り出す。
 昼間の仕事の時のようなしっかりしているルキと、部屋でくつろぐルキのギャップにやられかけたなんて、絶対に認めたくない。

「あと半年。ぜっーーたい、負けない」

 なんの勝負かは不明だが、とにかく絶対ルキにだけはときめかないとベルは強く誓う。
 ルキが安心して仕事に打ち込み爵位継承の条件を整えられなくなるなんて、それは契約婚約を持ちかけた自分が絶対やってはいけない事だ。

「私は、煩わせるような事はしちゃダメ。仕事に集中、仕事に集中!」

 契約相手として仕事を全うして見せる。ついでにルキに合ったお嫁さん候補も見つけるんだと決意を新たに気合を入れたベルは、

「よし、明日もいっぱい稼ぐぞーー!!」

 そんな事を叫びつつ、煩悩を振り払うようにひとり走り続ける。
 そんな彼女が綺麗さっぱり気持ちを切り替えられたのは、月が随分高く上がった頃の事で、クタクタになって眠ったベルは今日も"何も変わらない朝"を迎えたのだった。
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