桜いろの恋
車に乗り込みシートベルトを締めれば、私はすぐに尚樹のかえるべき家へと車を走らせていく。いつもはくだらない話で私を笑わせてくれる尚樹は、今日はハンドルを握る私をじっと見つめていた。
「あんまり見ないでよ」
「なんで?」
「尚樹に見られると集中できないから」
「そんなに俺のこと好き?」
「ばか」
信号待ちで尚樹を睨めば、尚樹の切長の瞳と視線がかち合った。その瞬間、尚樹が急に真面目な顔になる。
「美夜……好きだったよ」
目の前の尚樹が車外の雪景色に溶け込むように白くなり思考がパタリと停止する。尚樹は私も付き合ってから一度もその言葉を口に出したことがなかった。そしてずっと聞きたかった言葉なのに、途端にこわくて堪らなくなる。
「……別れよ、俺たち……」
尚樹の言葉の意味は分かるのに、うまく噛み砕けなくて、私の唇からは言葉は一文字も出てこない。
「美夜、車……ちょっと脇に停めようか」
私は小刻みに震える両手にぐっと力をこめると、雪の降り積もる舗道の端に車を寄せた。
尚樹が手を伸ばすとハザードランプを点滅させる。
「……尚樹……」
そう名を呼んだだけで涙が一粒転がった。尚樹が俯いて唇を噛み締めているのが見える。
「……どうして?……私なんか、した?」
「してないよ……」
「じゃあ……なんで?」
尚樹が苦しそうにゆっくりと口を開く。
「俺といると……美夜が、しんどそうにするから」
「してない、そんなことないっ」
「俺は……ずっと美夜に何もしてやれてない……いつも一人きりにさせてるし、寂しそうな顔しかさせてない。そばに居てやれない」
「そんなこと分かってるし、求めてないよっ」
「でも苦しいだろ?」
その言葉は魔法みたいに今まで我慢していた涙がとめどなく次から次へと溢れていく。私は首を振った。
「……苦しくなんかない……」
「泣かせてばっかりだな、俺」
自分では制御できずに無数の涙が落下していく中で、握りしめていた右手の指輪にポツンと涙が弾けた。
どうしてもカタチが欲しくて、誕生日に買ってもらった小さなダイヤモンドが一粒だけ付いているシルバーリングだ。
「違う……そんなことないっ。だから、そんなこと言わないで……」
本当は違わない。
苦しくてたまらない。
いつもいつも溺れてしまいそうだ。
尚樹が私を少しでも見てくれたらそれで良かったのに。欲張りな私はもっと尚樹のそばに居たくて、もっと一緒に過ごしたくて、知らず知らずにもっと心が欲しいと願っていた。そんな私のわがままな想いが、尚樹を追い詰めて苦しくさせていたことに気づく。
「あと……美夜に伝えなきゃいけないことがある」
私は袖で何度も目尻を拭いながら顔を上げた。
尚樹が苦しそうに言葉を吐き出す。
「子供……できたんだ」
「え?」
心の中があっという間に雪でいっぱいになっていく。その色は尚樹の言ってくれた真っ白じゃなくて濁った灰色に黒が混じった嫉妬の色だ。
「そ、っか……」
尚樹が親の決めた相手と結婚して三年、なかなか子供が出来なかった尚樹にもっと言えることがあったのかもしれないけれど、何を言っても偽りしか出てこない気がして私は何も言えなかった。
ただただ、恋の終わりが怖くてたまらなかった。
「あんまり見ないでよ」
「なんで?」
「尚樹に見られると集中できないから」
「そんなに俺のこと好き?」
「ばか」
信号待ちで尚樹を睨めば、尚樹の切長の瞳と視線がかち合った。その瞬間、尚樹が急に真面目な顔になる。
「美夜……好きだったよ」
目の前の尚樹が車外の雪景色に溶け込むように白くなり思考がパタリと停止する。尚樹は私も付き合ってから一度もその言葉を口に出したことがなかった。そしてずっと聞きたかった言葉なのに、途端にこわくて堪らなくなる。
「……別れよ、俺たち……」
尚樹の言葉の意味は分かるのに、うまく噛み砕けなくて、私の唇からは言葉は一文字も出てこない。
「美夜、車……ちょっと脇に停めようか」
私は小刻みに震える両手にぐっと力をこめると、雪の降り積もる舗道の端に車を寄せた。
尚樹が手を伸ばすとハザードランプを点滅させる。
「……尚樹……」
そう名を呼んだだけで涙が一粒転がった。尚樹が俯いて唇を噛み締めているのが見える。
「……どうして?……私なんか、した?」
「してないよ……」
「じゃあ……なんで?」
尚樹が苦しそうにゆっくりと口を開く。
「俺といると……美夜が、しんどそうにするから」
「してない、そんなことないっ」
「俺は……ずっと美夜に何もしてやれてない……いつも一人きりにさせてるし、寂しそうな顔しかさせてない。そばに居てやれない」
「そんなこと分かってるし、求めてないよっ」
「でも苦しいだろ?」
その言葉は魔法みたいに今まで我慢していた涙がとめどなく次から次へと溢れていく。私は首を振った。
「……苦しくなんかない……」
「泣かせてばっかりだな、俺」
自分では制御できずに無数の涙が落下していく中で、握りしめていた右手の指輪にポツンと涙が弾けた。
どうしてもカタチが欲しくて、誕生日に買ってもらった小さなダイヤモンドが一粒だけ付いているシルバーリングだ。
「違う……そんなことないっ。だから、そんなこと言わないで……」
本当は違わない。
苦しくてたまらない。
いつもいつも溺れてしまいそうだ。
尚樹が私を少しでも見てくれたらそれで良かったのに。欲張りな私はもっと尚樹のそばに居たくて、もっと一緒に過ごしたくて、知らず知らずにもっと心が欲しいと願っていた。そんな私のわがままな想いが、尚樹を追い詰めて苦しくさせていたことに気づく。
「あと……美夜に伝えなきゃいけないことがある」
私は袖で何度も目尻を拭いながら顔を上げた。
尚樹が苦しそうに言葉を吐き出す。
「子供……できたんだ」
「え?」
心の中があっという間に雪でいっぱいになっていく。その色は尚樹の言ってくれた真っ白じゃなくて濁った灰色に黒が混じった嫉妬の色だ。
「そ、っか……」
尚樹が親の決めた相手と結婚して三年、なかなか子供が出来なかった尚樹にもっと言えることがあったのかもしれないけれど、何を言っても偽りしか出てこない気がして私は何も言えなかった。
ただただ、恋の終わりが怖くてたまらなかった。