婚約破棄された崖っぷち令嬢ですが、王太子殿下から想定外に溺愛されています

「ヴァレンス殿下、どうぞこちらへ」
「急に訪ねて悪かったな、アルテミラ嬢」
「いえいえ。このような場所においでいただき、恐悦至極に存じます。殿下」
「ああ。お前が思ったよりも早く退出してしまい、ゆっくりと話もできなかったからな。きっと具合が悪かったのだろうと思い、見舞いに寄らせてもらった」

 自分の笑みが引きつっていないか、アルテミラは頰をそっと触って確かめる。
 突然王太子が前触れもなく訪問してきたため、こっそり領地へ逃げる機会を失ってしまった。
 アルテミラ以外には懐かないマールが、なぜかヴァレンスにじゃれつき離れようとしなかったので、噓をついて逃げようにも逃げ出せなかった。
 そんなアルテミラの思いを知ってか知らずか、貧乏伯爵のフーデンタル家タウンハウスの貧相な応接間に、豪華で見目麗しいヴァレンスが座ってお茶を飲んでいる。
 しかも、昨晩とは打って変わったようにキラキラと輝く笑顔付きだ。

(……うさんくさい)

 アルテミラの目には、不機嫌な顔の方がまだましに見える。

「ええと、はい、そうです! その、体を壊したようで、領地に戻り静養しようかと……ゴホゴホ」

 この際なので仮病を使わせてもらおうと、わざと咳き込む。すると心配したのか、マールがひょこりと首を上げた。

(もーっ! なんで、ヴァレンス殿下の膝の上なの?)

 こっちこっち、と手招いても動こうとしないマール。ヴァレンスはしつこくマールを呼ぶアルテミラを見て、ふっと鼻で笑う。
「なんだ、お前も俺の膝の上に乗りたいのか?」
「まさかっ! なんで……あ、いえ。そんなこと……」

 ポンポン、と膝の上を軽く叩くヴァレンスに、つい立ち上がって反論してしまった。
 慌ててソファーに座り直すと、ヴァレンスはアルテミラから顔をそらしながら口を手で押さえて笑いをこらえている。

(ぐぅ……からかわれた……)

「随分と元気そうだ。大荷物を抱えながら階段を走って降りてこられるようでもあるし、静養の必要はなさそうだが?」
「そんな……いえ。その通り、です……」

 しっかりと夜逃げスタイルを見られていた。

「さ、昨晩は助けてくださってありがとうございます。あの……お休みのところをお邪魔して申し訳ございませんでした」

 なんとかごまかそうと、トマスから助けてもらったお礼と邪魔したことのお詫びを伝えると、ヴァレンスはどうということはないと軽く手を振った。

「気にするな。馬鹿げたパーティーに参加するのが煩わしくて、静かな部屋を選んで寝ていただけだ」

(……ん? 何か今、馬鹿げた……とか、聞こえたような……)

 アルテミラが首を傾げて反芻していると、ヴァレンスはマールを撫でながらすました顔で言った。

「しかし、アルテミラ嬢の方から昨晩の話を持ち出してくれるとは思わなかった」

(……ぐっ! だって、他に会話することなんてないから……)

 アルテミラはひくつく頰を押さえながら、これ以上はごまかしがきかないと諦め、意を決する。

「あの、昨晩のお話でしたら、お断りを……」
「それならば俺からきっちりと始末をつけておいた。安心しろ」
「え、あ……あ、やはり! そうだと思ったんです、私が聖女候補だなんて。殿下のご冗談を真に受けてしまって恥ずかしいですわ」

(ああ、良かった。ヴァレンス殿下がわざわざここまで来たのだから、絶対に聖女候補の話だと思い込んでいたじゃない)

 緊張していた分、肩の荷が下りた時の喜びは大きい。ほっとして笑ってみせると、ヴァレンスも同じように笑顔を返す。

「ん? 無論、ワイズ伯爵家との婚約についてだ。良かったな、全面的にあちら側の責任ということで円満に解消の手続きを進めておいた」
「ええっ……あ、ありがとうございます」

 あまりにも早く認められたトマスとの婚約破棄に驚く。今さら元に戻ることも絶対にありえないので素直にその言葉を受け入れた。
 しかし、次の言葉に一抹の不安がよぎる。

「フーデンタル伯爵も不義理な男との縁が切れたと、壊れた玩具のように首を縦に振って喜んでいたぞ」

(喜んでって……どう考えてもそれはお父様に何かが起こった時の仕草……)

「伯爵夫人は随分と心配しておられたが、最後は頷いてくれた」
「ええと、何のお話でしょ……」
「だから、安心して――聖女候補として宮殿に参内しろ」

 一瞬、何を言われているのかわからなくて、アルテミラは完全に固まってしまった。

「は? ま、ま……待って……え、ええ?」

 はくはくと、口を開けては閉め、息ができるようになったアルテミラを置き去りにして、ヴァレンスは続ける。

「聖女候補には、まず今日より十日後までに宮殿に入ってもらう。そして十五日後より選定の儀式が始まる。三十日かけて聖女を選ぶための儀式を行うが、宮殿内での滞在にかかる費用は全て王室持ちだ。その際、ドレスだろうが宝石だろうが好きなだけ買おうとも咎める者はいない。候補者への褒賞金代わりだ」
「ちょ、ちょっとお待ちください!」
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