婚約破棄された崖っぷち令嬢ですが、王太子殿下から想定外に溺愛されています
それから一晩経ち、あらためて聖女祭についての本を読んで冷静になった。
聖女に必要な素質、それはまずなんといっても魔力の多さだ。
魔力の多さは使える魔法の種類に影響する。子どもでも使える初級の呪文ならばいざ知らず、中級、上級とレベルが上がるほどそれなりの魔力量がなければ発動は難しくなる。
魔方陣を使った独自魔法の構築ともなると余程の魔力量と膨大な知識が必要だ。
今では名誉職になったとはいえ、初代王妃から続く聖女が上級魔法を使えなくてはお話にならないだろう。
そして大っぴらに言えることではないが家柄も重要だった。王族に嫁ぎ、近しい立場になる聖女の姻戚関係は、当然のことながら王家のためになる家柄が望ましい。
(私には全く聖女の素質がないのだから候補になれるわけがないわ)
魔力が少なくほとんど魔法が使えないうえに、王家のために役に立てるほどの家柄でもない。
そう思うことで気持ちが楽になったアルテミラは、マールを抱き上げてくるっと回る。
「さてと、そろそろ朝食の時間よね。行きましょう、マール」
そうして支度を終え、食堂に着いたところで、父親と母親が朝一番で招集を受け宮殿に出向いていることを聞いた。
あまり動じることのないベテラン侍女がそわそわと落ち着かない様子だ。
「あれ……? なんだか嫌な予感しかしないのだけれど……まさか、まさか、ねえ」
マールに話しかけても意味がないとわかっていても、話しかけずにはいられない。
そもそも、今回のことがなくてもアルテミラにとって聖女祭にはいい思い出がない。
実は六年前――前回の聖女祭で、誘拐事件に巻き込まれたことがあった。
聖女祭で賑わう街中で遊んでいた時、赤髪の男の子が誘拐されるところにたまたま居合わせてしまったアルテミラは巻き込まれ、一緒にさらわれてしまった。
なんとか二人で力を合わせ逃げ切ったのだが、本当に怖かったと今でも思う。
そこでフェレットのマールと出会ったのだから悪いことだけではなかったものの、あれ以来社交のために王都に足を運んでも、一人で街に出ることはやめてしまった。
そして今回の聖女祭では、トマスからの一方的な婚約破棄。
そのうえヴァレンスの独断で聖女候補になるかもしれない。
まかり間違って聖女になってしまったら、六年の任期中人目に晒されるだけでなく、その後もずっと元聖女として扱われる。
ただでさえ崖っぷちと呼ばれているアルテミラはこれ以上目立ちたくない。今世では静かに暮らしたい。
生まれ変わる寸前に願った、趣味のマジックを楽しみながらスローライフを送りたいという希望さえ消えてしまう――それだけは絶対に勘弁してほしい。
しかも巻き込まれやすい自分が聖女候補になったとしたら、今度も絶対に何かに巻き込まれる未来しか見えない。
(また誘拐なんてことになったら……)
あの時は運良く逃げ切れたものの、その後一人で街に出られなくなってしまうくらいにはトラウマを負った。アルテミラは考えただけでも恐ろしくて震えてしまう。
(……うん。ヴァレンス殿下が本気で私を聖女候補にするつもりならば、正式に決まってしまう前に逃げるが勝ちよね)
朝食もそこそこに終わらせ部屋に戻ると、慌てて荷物をまとめだした。
聖女選定の儀式が始まる時に王都にいなければ候補になりようがない。適当に詰め込んだ荷物とマールの籠を持つ。元々大した荷物はない。一番大事なのはマールだ。
「マール、おいで。今から出掛けるわよ。籠に入ってちょうだい……マール?」
アルテミラが呼べばいつでもすぐに小さな顔を出すはずのマールの姿が見つからない。
チチ、チチ、と舌を鳴らしながら部屋を出て階段まで来ると、一階でくるくると回って遊んでいるマールを見つけた。
「良かった。マール、マー……あ、ああっ!?」
籠と荷物を手に階段を駆け下りたその時、誰かの足元で回っていたマールが宙に浮いた。いや、浮いたのではなく、抱き上げられていた。
「ヴァレンス……殿下……?」
「やあ、アルテミラ嬢、昨晩ぶりだな。元気にしていたか?」
ヴァレンスは抱き上げたマールの首の後ろを撫でながら、昨日よりもさらにつくり上げられた笑顔をアルテミラへと向けた。