ラカンティア

ザクロ

 窓が開いた。
 真っ白な雪景色に、光る礫の雪雨が、降り続く、そんな夜明け 
 光が、踊って、第七世界の輝きが、日輪に揺れ、たわめく、大きな喜びの声がした。
 一斉に、白い鳥が空を舞い、駆けていくオオカミが、吠える。
 帰りを急ぐ、狼たちに、一瞥をくわえて、あくびをする。
 狩りは終わったのか。死は始まったのか。痛みはまだ終わらないか。
 窓から身を乗り出し、青年は、空を見上げた。
 ああ、光が、彼を包んだ。
 神の声がした。
 青年は、ジャンバルア病(記憶遡行障害)をかかえて、リハビリのために、この第七世界療養地にいた。
 名をザクロ。
 紫の闘衣が、光る、七つの太陽が、彼を照らし、七色に反射する彼の衣はまるでバルーダ色をしている。それは、太陽を浴びることによって、力を蓄積する闘衣の生地に由来する。バルーダは、鳥の名前で、彼が呼んだ。
 空から降ってくる。
「おお、セニア」
 バルーダ鳥は、飛んできた。
 きれいな七色鳥で、彼の肩に止まった。
 全長15センチの小鳥だ。
 翼の羽根は、きらきらと、まるで煌宝石のように朝日に映えて、ふっと、高貴な面持ちで、空に目を走らせ、ザクロの頬に頬を寄せる。
 ザクロは、白い自身の頬にくすぐったさを感じて、ふっと笑った。その柘榴のような美しい唇に喜びの声がにじみ出た。
 まるで、浸透する紅い果実が、くすみゆくその白壁に、映る幻灯機械に叩きつける、ぱっくり割れて、裂ける瞬間の喜狂にも似た法悦が、朝日と共に破裂し、ベッドで眠る女の横顔を薔薇色に染めた。
「セニア」
 すると、バルーダ鳥のセニアは、きっと短く鳴いて、幻灯機械に飛び込んだ。
 丸い球体のその機械に、セニアは飲まれると、文字になった。
「……」
 ザクロは了解した。
 古代ラカンティア文字で書かれたセニア描写は美しかった。
 語る文字と踊る光、そして、高貴なる雰囲気。聖なる相棒セニアは鳥に戻る。
 もう一度窓による。
 背後で声がした。
「おはよう」
 女が一晩の契りを終えて、目を覚まし、その澄んだ色声で呼びかける、あいさつは、愛のときめきを表し、昨晩の交わりの余韻に震えている。
「ああ、おはよう」
 ザクロは振り返らずに、気配で愛を語る。
「素敵な、ザクロ、今日は気持ちがいい日ね、少しは気分が晴れた?」
「そうだね」
「何か想い出した? そうね、好きな女のタイプとか、好きな女の香水とか、好きな女の下着の色とか、ふふ」
「ああ、君だよ、何て言わねえよ」
「なによ、それ」
 女が不機嫌そうにそう言って、ザクロは背中に衝撃を感じた。
 枕があたった。
「わかったって。好きな女のタイプはお前」
「ほんとに?」
「そう、好きな女の香水は、お前の体臭、そう、まるで雪狐のようなにおい」
「ちょっとお、雪狐? ああ! あの、うれしいー」
「そして、好きな女の下着は、まん……」
「ま、まん、その先は言わないでくれる?」
「マン……」
「ん」
 女はザクロの変化に気が付いた。
「マンティコア」
「え、誰それ、少し記憶が戻ったの」
「ああ」
 ザクロは頭を抱えて、うめき声を漏らした。
 ジャンバルア病の発作だ。
 そして体に激痛が走る。
 何か体内にいるような錯覚を覚え、かきむしりたい衝動を感じ、さらに頭を抱えて、うずくまる。
「大丈夫、大丈夫? ザクロ!」
「来るな! そのまま出て行け、悪いが、う、マヒナル、行ってくれ」
「でも」
「行け!」
 そして、マヒナルは部屋を出ていく。
 発作は、ラカンティア大激震、通称「ドラバット大地震」すなわち、神の死、ザクロの記憶に蘇る忌まわしい奴だ。
「蛇!」
 かッとザクロは目を開ける。
「蛇だ! マンティコア」
「思い出したの」
「大地震で、死んだはずじゃ」
「あなたが殺したのよ」
「だれを?」
「人間をよ」
「俺が?」
「そうよ、あなたが引き金を引いたのよ。だから責任を取りなさい」
「どうやって」
「簡単よ、私に会いに来て」
「お前は蛇だろ」
「恋人よ」
「俺の恋人はマヒナルだ!」
「そう、マヒナルなら、もう死んでいるわよ」
「あ?」
「私はマンティコア、あなたの記憶が返るのを待っていたわ。さあ、隣室に行って見なさい。でも、そのまえに」
 すさまじい快楽が全身を駆け巡った。
 むさぼられるように、唇が吸引される。
 勃起して30秒で30回はいった。
 ザクロは何のことやらわからないまま、射精を繰り返し、暴れる間もなく快楽に落ち、脳が破裂するような快感が、最後の射精だった。
「ああああ、ああ、あああ」
「いい、いいわ、いいの、もっと、もっと」
 朝日が彼とその世にも美しい女を照らし、不意にザクロは首筋に鋭い痛みを感じた。
「う!」
 セニアが何度も突っついている。
 マンティコアは、セニアを掴もうとして手をさっと伸ばした、ザクロは反射的に腰に差した剣を抜いた。一閃! ザクロの武器「雷刀」が稲妻のようなスピードで、マンティコアの首すじを切る。寸前、マンティコアは、空に出た。
「さようなら、またやろうね。私のザクロ」
 ザクロは、片膝をついた。そして、剣で身を支えて、はっと隣室の扉の方をうかがった。
 よろよろと、扉の前に立ち、ドアノブに手をかける。
 開ける。
 マヒナルは、美しかった。
 世界一美しい女だった。
 マヒナルの死体の上には、無数の黒い薔薇がばらまかれていた。
 その死に顔は、静かだった。
 まるで、恋人を待つ、健気な乙女のように、少し開かれた眼からは、涙が流れていた。
 ザクロは脈をとる。
 毒殺だ。
 マヒナルの、いつも使うコップに目をやる。震える手で覗き込む、色が黒くなっている。
 ザクロは、しばらくそのままでいた。茫然と、マヒナルの顔に目を戻す。
 マヒナルの胸に顔をうずめた。
 そして、嗚咽を漏らし、激しくむせび泣き、ただ最愛の恋人の名を呼んだ。
「マヒナル……」
 そして、この毒は絶対に助からない、新聖人すら殺す猛毒だ。ジュラゲルノール、間違いなく禁忌だ。
 絶対に人間に服毒させてはいけない、ラカンティア法で決められている。
 やがて、日が落ちるころ、それでも、あらゆる蘇生法を試したが、マヒナルが目を開けることはなかった。
 ザクロは闘病をやめた。
 復讐の旅、そう、マンティコアというあの女を討つために、再び、戦士になった。
 ザクロは、変わる風向きの中で、変わらないものを信じた。
 マヒナルが与えてくれた。
 つかの間の安らぎと希望、それだけは真実だった。

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