初心な人質妻は愛に不器用なおっさん閣下に溺愛される、ときどき娘
「あのあたりに屋敷がある」
 暗い空には星が満点に輝いているが、見下ろす街には魔石灯による明かりがぽつぽつと灯っていた。
「エルシーは、おやすみになりましたかね?」
 普段のエルシーであれば、すでに寝台へと潜り込んでいる時間帯だ。だが、このパーティーはまだまだ続く。
「そうだな。もう、そんな時間か……」
 そう呟くイグナーツの言葉の裏には「もう、帰りたい」という意味が隠されているようにも感じられた。オネルヴァがそう思ったのも、なんとなく彼という人物がわかりかけてきたような気がするからだ。
 頬を撫でつけていく風は、昂った身体の熱を奪っていく。
 じっと街を見下ろす二人の間に、沈黙しかない。だが、それすら心地よい。
 あれほどガチガチに緊張していたはずなのに、二人で熱気と賑やかさから逃れてきた共犯的な関係が、それを和らげてくれたのだろう。言葉はなくても側にいてくれるだけで、なんとなく心が落ち着いた。
 どうしてそのような気持ちになるのかはわからない。彼と『家族』になったからだろうか。
「今日の君は、いつにもまして綺麗だ……」
 その言葉でぽっと火がついたように頬が火照る。明るい魔石灯の下でなくてよかった。このような顔を、彼には見られたくない。
 だが、唐突なイグナーツの言葉の意味がわからない。少しだけ顔を伏せる。
「本当は、もう一曲くらい君と踊りたいのだが」
 そう言った彼は、オネルヴァの左手を取ると、その甲に口づけた。
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