ティータイムは放課後に。〜失恋カフェであの日の初恋をもう一度〜

第7話

 
 家に着くと、玄関の前で椎が言った。
「……明日、ちゃんと想いを伝えてきたら、一花のためだけのミゼラブル作ってやるよ」
「……塩はなしのやつ?」
 尋ねると、椎が苦笑する。
「当たり前だろ。というか、今日のも入ってないからな」
「……じゃあ、放課後行く」
「朝は?」
「朝?」
「今までと同じ時間の電車か?」
「そうだけど……」
 一花は首を傾げた。尋ねようとしたちょうどそのとき、頭にぽん、と椎の大きな手が乗せられる。
「ん。じゃあおやすみ。腹出して寝るなよ」
「だ……出さないってば!」
 椎が笑う。完全に尋ねるタイミングを逃してしまった。
「ほら、早く中に入れ」
「あ、じゃあ見送るよ」
「ダメ。それじゃ意味ないだろ。玄関に入って鍵閉めるまで動かないからな」
 一花は口を尖らせた。
「……分かった。じゃあ、おやすみ」
 部屋から窓の向こうを覗く。さきほどまで空にあったはずの月は、いつの間にか雲に隠されていた。
 灰色の雲からは、しとしとと雨が降り出している。
 一花の心もまだ曇ったままだ。けれど、放課後学校を飛び出たときよりは、少しだけ気分が楽になっていた。

 翌日の朝、一花はいつものように迎えに来た雪と共に登校した。
 雪は一花の顔を見ると、ほっとしたように微笑んだ。どうやら、相当心配をかけていたらしい。
 家を出てしばらくすると、雪は当然のように一花の手を取った。重なった手のひらから、雪の控えめな体温がじわじわとつたわってくる。
「一花ちゃん、昨日はどこ行ってたの?」
「……昨日は、隣町にある幼馴染みのところに行ってたんだ」
 すると、雪は大きな瞳をさらに大きくした。
「幼馴染み? 一花ちゃん、幼馴染みなんていたんだ?」
「……うん。八個上のお兄ちゃんなんだけど、パティシエをやってて」
「……ふぅん。すごいね」
 雪は小さく相槌を打ったが、そのまま黙り込んでしまった。
 一花はちらりと雪を見る。雪は伏し目がちにゆっくりと瞬きをしていた。
 その横顔を、一花はやはり綺麗だな、と思った。
 雪はたぶん、綺麗でいなければならないと思っている。
 だから、茜ではなく一花を選んだ。綺麗でいるために。正しくあるように。
 気分が沈む。
「……一花ちゃん? どうかした?」
 パッと顔を上げる。雪が怪訝そうな顔で一花を見つめていた。
 ずきん、と胸が痛む。一花は歯を食いしばって、雪を見た。
「……雪くんは、昨日なにしてた?」
「え」
 雪の足がぴたりと止まる。
「昨日、放課後。なにしてたの?」
「なにって……」
 雪はごくりと息を呑んだ。
「……ごめん。実は私、昨日見ちゃったの」 
 そこまで言って雪を見る。雪は目を瞠ったまま、黙り込んだ。動揺が顔にありありと浮かんでいた。
「……ごめん。覗くつもりとかはなくて……ただ迎えに行こうとしたら見えちゃったっていうか」
 雪は青ざめたまま、ぴくりとも動かない。しかし、目を覚ましたように一花を見ると、今度は泣きそうな顔になった。一花の胸が、さらにじくり、と痛んだ。
「……本当にごめんなさい」
 頭を下げる。
 自分の感情にさえ戸惑っているのに、そんな場面を他人に見られたと知ったら、誰だってこうなるだろう。
 一花はおずおずと顔を上げた。
「……あのさ、雪くん。雪くんは、茜くんのことが好きなんだよね……?」
 尋ねると、雪の顔がぴきっと凍りついた。
「違う……」
 雪はか弱い声で否定する。
「雪くん」
「違うよ、なに言ってるの……俺は一花ちゃんの彼氏でしょ?」
 雪は何度も首を横に振って、まるで自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「……雪くん、私といるといつも無理してるよ。本当は茜くんと一緒にいたいんでしょう?」
「そんなことない!」 
「……そんなことあるよ」
 今度は一花の声が弱くなる。
「そんなことある。だって雪くん、私といるときはいつも申し訳なさそうだったもん」
「そんなことない。違うよ、一花ちゃん。昨日のは……その、見間違いだから……」
 雪は意地でも認めるつもりはないらしい。
 なんだか虚しくなってくる。
 そんなに否定したら、いくらなんでも茜が可哀想だ。彼はずっと、まっすぐに雪を想っているのに。
「……ねぇ、雪くん。どうして隠すの? どうしてそんなに誤魔化すの? いつまでもそんなことしてたら、茜くんにだって愛想尽かされちゃうよ」
 雪の目が泳ぐ。
「…………俺の恋人は、一花ちゃんだよ」
「……じゃあ、なんでそんな悲しそうなの?」
「悲しくなんか」
「――じゃあ、キスしてよ」
 一花の言葉に、雪はとうとう息をつまらせた。
「私のこと好きなら、今ここでキスしてよ。できるでしょ。恋人同士なんだから」
 泣きそうになるのを堪えながら、一花は雪に言う。
 雪は困ったように俯いた。
 その顔を見て、思い知らされる。
 やはり、無理なのだ。手は繋げても、雪にとって一花はそうしたいと思える相手では――。
「……分かったよ」
 え、と顔を上げると、一花の顔に影が落ちた。両頬に雪のひんやりとした手が伸び、一花は動けなくなる。
「目、瞑って。一花ちゃん」
 雪の顔がじわじわと近付き、一花はいよいよ焦った。
「え、え? まっ……」
 どうしよう、と回らない頭を高速回転させていると、
「――朝から路上で盛るな、ガキが」
 至極不機嫌そうな声が降ってきて、心臓が飛び上がった。
 雪の動きが止まり、咄嗟に身を引いて振り向くと、そこには眉間に皺を寄せた椎がいた。
「椎ちゃん!?」
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