ティータイムは放課後に。〜失恋カフェであの日の初恋をもう一度〜

第8話


 じわじわと頬が熱くなる。
 いつからいたのだろう。というか、こんな朝早くに、一体なにをしているのだろう。
 一花は目をぐるぐるとさせながら、椎に尋ねた。
「な、なんでここに……と、というか、いつから!?」
「そうだな……キスしてよ、あたりから?」
 さらりと言われ、顔が爆発するかと思うほど熱くなる。
 雪が一花の手を引いた。
「……一花ちゃん、この人は?」
「……あ、えっと……幼馴染みのお兄ちゃん」
「幼馴染みの……」
 雪は眉を寄せ、訝しむように椎を見ていた。
「一花」
 椎はおもむろに一花の手を引き寄せた。
「えっ……ちょっと」
 掴まれた手首は、少し痛いくらいだった。椎を見上げる。
「……あの」
 雪が口を開く。
「彼女は、俺の……」
「俺の……なに?」
 椎の低い声に、雪は唇を引き結んだ。椎は一花を見下ろし、柔らかく微笑む。どきりとした。
「……ごめん一花。本当は全部聞いてた」
「え……?」
 そう言うと、椎は一花を隠すように前に出た。
「君……雪くん、だっけ? 雪くんはなにかを勘違いしてないかな。君は被害者じゃなくて、加害者だよね?」 
 息を呑む。
 椎は静かに怒っていた。一花は口を噤み、様子をうかがう。
「一花の気持ちを利用して傷付けておいて、この後に及んでまだ一花を利用するつもり? いい加減にしてくれないかな」
 冷ややかな視線で、椎は雪を見下ろした。
「あなたには関係ない」
「一花は俺の大切な幼馴染みだ。昨日だって、泣いて俺のところに来た」
 雪が驚いた顔で一花を見る。
「一花は、傷付いて泣いていたんじゃない。君を傷付けたと言って泣いたんだ」
「え……」
「ち、違うよ……これはその……」
 雪の瞳に溜まっていた涙が、ぽっと落ちた。
「君が泣くな。泣きたいのは、一花の方だ」
「椎ちゃん……」
 一花の瞳に、とうとう涙が滲み出す。一花は俯いた。その瞬間、涙がぼろぼろと溢れ出した。
「悪いけど、浮気男にやる幼馴染みはいないんだ」
「それは……でも俺、一花ちゃんを利用してたわけじゃ……」
 雪は拳を握って、椎に反論を試みる。すると、椎は目を伏せて静かな口調で言った。
「君がどんな重い事情を抱えていようと、自分に好意を寄せる子を騙して利用するなんてことは絶対に間違ってる。君の勝手に、俺の一花を巻き込むな」 
 じっと睨むように椎は雪を見つめた。雪は言葉をつまらせ、硬直した。
「……ごめんなさい……」
 雪は小さな声で謝った。
 一花は目を伏せた。
「……雪くん、ごめんね」
 雪が一花を見る。
「……謝るのは、俺の方だよ」
 一花は首を振る。
「……本当は、前から雪くんの気持ち知ってたの」
「……え、前から?」
「……うん。雪くんも茜くんも、よくお互いを見てたから」
 雪は一花から目を逸らした。
「私、雪くんばっかり見てたから……」
 言いながら、俯く。ごめん、という言葉がもう一度口をついた。
「……それなら、どうして」
 雪は弱りきった声を出しながら、一花の腕を掴んだ。手首を弱々しく掴まれ、胸が鳴る。一花は溢れそうになる想いを堪えて、雪を見上げる。
「……あの日、本当は雪くんを諦めるために告白したの。振られれば、諦められると思って」
 でも、雪は一花を受け入れた。
「そのとき、本当は私がちゃんと断ればよかったんだよね……でも……もしかしたら、私の思い込みだったのかもって、もしかしたら両想いなのかもって、期待しちゃったの」
 一花は拳を握った。声が震える。
 好きだったからこそ、この手が振り解けなかった。
「……ごめん……ごめんなさい。雪くん」
 泣きながら謝る一花に、雪は堪らなくなった。
「……違うよ。謝らないで、一花ちゃん。悪いのは、全部俺だ」 
「……嘘か……お互い様だね」
 想いを偽って、遠ざけて、べつのなにかで埋めようとしている。べつのなにかなんて、あるわけないのに。 
 一花と雪は静かに見つめ合う。そのたったの数秒が、何分にも何時間にも感じた。
 もう、おしまいにしよう、と一花は言った。
 そして、
「……私がなにを言っても、雪くんには届かないかもしれないけど……雪くんは綺麗だよ。雪くんの気持ちは間違ってなんてないよ。好きならちゃんと好きって言った方がいい。好きな人と好きになれるって、奇跡みたいなことだと思うから」
 雪は申し訳なさそうに眉を下げて、そして目を伏せた。瞼が閉じられた瞬間、涙の跡を新たな雫が流れていく。
「……ごめん……」
 一花はできる限りの笑みを浮かべ、首を振った。
「そんな顔しないで。ひどいことをしたのは私なんだから」
「……ごめん、一花ちゃん……ごめん……」
「雪くん、今までありがとう。ふたりの邪魔しちゃって、ごめんね。今度はちゃんと……茜くんに本音を伝えてあげてね」
 最後は笑ってお別れを言えたはずだ。そう、一花は思った。振り向くと、椎はやれやれといった顔をして一花を見つめていた。その眼差しは、太陽のように柔らかくてあたたかくて、一花は涙が出そうになった。
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