Actress〜偽りから始まるプラハの恋〜

#23. 終幕のとき

「環菜さんお久しぶりです。息抜きがてらクロワッサン買いに来ました!」

渡瀬さんが疲れた顔でカフェにやってきたのは、12月に入ってすぐのことだった。

智くん同様に忙しいのか、いつも明るい笑顔の渡瀬さんの顔には疲労の色が滲んでいる。

「渡瀬さんも今忙しいんですか?智くんも明後日から日本へ行くにあたってバタバタしてるみたいで」

「僕は日本での会議には出席しないんで桜庭さんほどじゃないんですけどね〜。やっぱり直前は大詰めで忙しいです。なんで、気分転換に美味しいクロワッサンでも食べようかと思って!」

「そうなんですね!いっぱい食べて元気チャージしてくださいね!」

注文されたクロワッサンを袋に詰めて、激励の言葉を投げかけながら渡瀬さんに手渡した。

渡瀬さんは御礼を言って、マフラーをぐるぐる巻きにして寒さ厳しいプラハの街に消えて行く。

本格的な冬が到来した12月のプラハは、冷たい風が吹いて身体の芯から凍える寒さで、帽子・手袋・マフラーが手放せない。

一方で室内は暖房がしっかり効いているので暑いくらいだった。

(明後日には智くんも日本に行っちゃうのか。しばらく会えないのは寂しいなぁ。でも戻ってきたらクリスマスは一緒にストラスブールに行く約束してるもんね!楽しみ!)

私はクリスマスのことを思い浮かべ、ワクワクする気持ちに心が占領される。

クリスマスに仕事以外で誰かと一緒に過ごすなんて何年ぶりだろうか。

今から楽しみで仕方なかった。



しばらくして同僚と交代でバックヤードで休憩を取る。

休憩が終わり店内に戻るとマネージャーが少し困った顔で私の方へやって来た。

『環菜、悪いんだけどあそこに座ってる男性を対応してくれない?』

マネージャーの視線を追ってチラリとそちらを見ると、人がまばらな店内のイートインスペースに一人の男性が座っていた。

どうやらアジア人のようだ。

『どうしたんですか?』

『なんかね、英語もチェコ語もできないアジア人のようなんだけど、店に来るなり、「Japanese はいるか?」って一言だけ英語で何度も繰り返すのよ。たぶん日本人だから環菜なら話が通じると思うの』

それを聞いて変な人だなと思った。

「Japanese はいるか?」という言葉だけ英語で話すなんて、まるでその一言だけ覚えたような感じだ。

日本人だということで警戒する気持ちはあったが、マネージャーにこう頼まれては断ることもできない。

私はかけていた眼鏡を無意識に掛け直すと、その男性の方へ向かって行く。
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