あの時、一番好きだった君に。-恋恋し編-

 送別会に選ばれたこのお店は、系列の居酒屋らしい。モダンな造りで、オシャレな雰囲気だ。畳の部屋に通されたが、広々として使い易そうに見える。飲み放題付きのコースで、一部金額をお店が負担してくれたらしい。だから支払うお金は多くなかったが、ちらっと見たメニューに書かれた金額は、学生にとっては少々お高く感じる値段ではあった。
 その分、美味しいご飯が食べられるのだが。

「千景ちゃんも飲んでよ、ほら」

 そういって、早瀬さんがビール瓶を差し出す。

「ごめんなさい、私、ビールはちょっと苦手で」
「あっ……ごめんね? 前も飲んでなかったよね。忘れてた……。そういえば、弱いの?」
「すぐ顔真っ赤になったりするんで」
「えっ。見たい。飲んで飲んで」

(そんなの見たいって……)

「苦手って言ってるでしょ。駄目ですよ、無理強いしたら」
「特に、私ビールって味が駄目なんです」
「嫌いなものは、飲みたくないよねー」

 隣に座っていた航河君が、助け舟を出してくれた。
 アルコールが苦手なのはほんとだ。飲めない訳ではない。むしろ、甘いカクテルは好きな部類である。相崎さんもその辺を分かっていたから、私にはフルーティで飲みやすいアルコールを花火の時も手渡してくれた。あの手の味なら大好物だ。……なのだが、すぐ赤くなり、体調が悪いと蕁麻疹が出ることもある。

 先日、初めて航河君と2人で飲みに行った。しかし、その時飲む量が多かったのか、それとも食べ合わせの悪かったのか、はたまた両方なのか。翌日になって腕に蕁麻疹が拡がった。慌てて病院に駆け込んだが、顔に出なくて本当に良かったと思っている。
 ちなみに、2人で飲みに行ったことは、もちろん航河君の彼女さんは知っている。その日、航河君の彼女さんは航河君の友人と2人で飲みに行ったらしい。先約は、航河君の彼女さんの方だったそうだ。

 摩央には報告したが、特筆することもなく、至って普通の食事で終わった。つまらない、と言われたが、彼女がいる男の子との間につまらなくない出来事が起こったら、私の身がもたないかもしれない。

「ちょっとくらいさ。はい、グラス」

 早瀬さんは空のグラスにビールをなみなみ注ぐと、私の目の前に置いた。

(こんなに沢山……飲めるわけないじゃん……)

 シュワシュワと小さな泡が生まれては消える、黄金色のグラスを眺めて、私は眉をひそめた。視界に入る早瀬さんの表情は、なんだかニヤニヤしている気がしてならない。

「だーから。ダメって言ったじゃないですか」

 横から伸びた手がグラスを掴むと、そのまま口へと運ぶ。そのままグビグビとグラスの半分までビールを減らし、唇をペロッと舐めた。

「俺が飲んじゃいますよ。千景さんに注いでも」
「お前の真っ赤な顔なんか見たくないし」
「そう思うなら、もう注がないでくださいね」

 日に日に、航河君の早瀬さんに対する態度というか、接し方が強気になってきた気がする。もういなくなるからかもしれない。

(航河君も、ビールあんまり好きじゃない筈なのに……)

 その飲みに行った時聞いたが、航河君もビールが好きではないようだ。私と同じように、カクテルか、チューハイや果実酒は好んで飲むらしい。
 それなのに、私に差し出された分を全部飲んでくれた。

(あっ、いや。みんな触れないけど年齢……)

「あー、航河優しいねぇ。広絵のもあげる!」
「アナタはビール飲めるでしょう!」
「バレた? 梅酒頼もうと思ったのに」
「飲んでから頼みなさい」

 少し酔い気味の広絵のことも、軽くあしらう。まだまだ、航河君は酔っぱらってはいないようだ。

 人数が多いからか、そこかしこで盛り上がっている。時間はあっという間に過ぎて、お開きの時がやってきた。
 各々片付け、外へと向かう。

(……あれ? 無いな……)

 電車の時間を調べようと携帯を探したが、ポケットの中にも鞄の中にも入っていなかった。どうやら、出る前に時間を確認して、そのまま席に置いてきてしまったらしい。

「ごめん、携帯置いてきたみたい。ちょっと取ってくるね」
「ん、いってらっしゃい」

 まだチラホラと店内から人が出てくる中、店の外でみんなを待っていた航河君に声をかけて、急いで元居た部屋へと戻った。

「あ、千景ちゃん」
「……早瀬さん……」

 そこには、私の携帯を持った早瀬さんが座っていた。

「忘れ物かな?」
「……はい」
「隣、座って?」

 警戒するが、大事な携帯は早瀬さんの手の中にある。言われるがまま、隣に座る。早く携帯を返して欲しい。それだけだ。他に理由はない。

「ありがとうございます。携帯、貰いますね」

 手に持っていた携帯を半ば奪うようにもらい受け、急いで席を立った。

「待って」
「――わっ!」

 不意に手首を引っ張られ、ガクっとバランスを崩す。そのまま床へと仰向けに倒れこんだ。

「いたた……」
「千景ちゃん」
「なっ……早瀬さんどいてください!」
「……」
「――っ――むぐっ」

(ウ、ウソ……? ヤダ……! 誰か――!)

 早瀬さんに覆いかぶさられ、胸元で口が塞がれた。必死に声を出そうとしても、全て早瀬さん自身に塞がれてしまう。
 押しのけようにも、下からの力では上からの力に敵わない。体重と体格差、力の強さもあいまって、完全に早瀬さんの下から動けないでいた。
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