静かなる躾


 愛車のドイツ車はレコード会社との契約で得た札束で即決した。罪に付随した幸福で、キャッシュ、しかも一括で購入した代物だ。今はもう手放したくて仕方がなかった。金に目が眩んだあの頃の小娘を張り倒したい。
 しっとりと肌に馴染むハンドルから顔を上げ、煙草に火をつける。私の城だ。誰になにを言われようとここは喫煙所。ぷかり、乳白色の紫煙が車内に充満した。スマートフォンが鳴る。

 剛。それだけが書かれた液晶画面。暗闇を突き裂くようにその白く光るスマートフォンはダッシュボードの上で踊る。狂ったように這い回るそれを私は睥睨した。


「……もしもし?」
〈どこにいる? 凪」
「んー……なんで?」
〈歌入れ終わった〉
「お疲れ」


 彼、剛くんはswanky(スワンキー) trash(トラッシュ)の顔。フロントマン。ギターヴォーカリスト。そして私の共犯者。気取ったゴミ(スワンキートラッシュ)、良いバンド名だ。

 ぷかり、惰性で口から排出される紫煙。車内は煙草の香りで充満している。愛煙家しか乗せない為、それで文句を言われたことはない。
 
 
〈送るから聴いて〉
「……ん、分かった」


 切れた通話。そのすぐ後に送られてきたデータ。溜め息を吐きながら開く。時間は23時43分。どれだけ夜遅くとも、どれだけ朝が早くとも仕事の締め切りは守らなくてはならない。創作というものはいつも締め切り間近で神が降ってくるものだ。

 今回の曲はタイアップだった。来年公開が予定されているアニメ映画のアップテンポな曲。データを開き、液晶画面をタップすると、歪んだギターの音が車内に響き渡る。この業界に飛び込んでエフェクターというものを知った。スワトラの特徴としてギターの歪みがよく挙げられる。シンセサイザーなど多種多様の機材を巧みに操り、唯一無二の音を作り出す。


「……」


 相変わらず、紡がれる言葉は秀悦でタイアップの作品の特徴をよく掴んでいる。その甘美な高音と透き通る歌声。迫力の中に確かに存在する緻密なテクニック。

 息を飲む。心音が煩い。


「また、……オリコン1位取りそうだね」

 
 
 swanky trashは曲を出せば翌日にはサブスク、オリコン1位を取る。その他あらゆる音楽チャートを軒並み荒らしている。CDが売れない時代ながら根強い支持を集め、CD世代をも虜にしている。MVを発信すれば、3日で100万pvを叩き出す。評論家も唸らせる音作りと音運び、そして歌詞は変態とも呼ばれ、世間は放っておかない。しかもアイドルかよ、と嫌味を言ってしまうほど、スワトラはバンドメンバー全員の顔面偏差値が高い。そのフロントマンとして、剛くんは並外れた美しさを兼ね備えていた。

 私は剛くんの声を最後まで聴かず、音を切った。


「……、」


 私は煙草を咥えながら、スワトラの次の曲を書き始めた。


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