恋はひと匙の魔法から

埋まる外堀

 翌日出社すると、経営企画室のメンバー全員から生温かく微笑みと共に迎えられた。多分、水卜から昨日のあれやこれやをしっかり共有されているのだろう。透子は居た堪れなくなって身をすくませながら、か細い声で挨拶をして自分の席に着く。
 メールチェックの最中に近づいてきた経企のボス、多原からは「来週の金曜、飲み会ね」と愉しげに囁かれる。透子が参加することは決定事項らしく、誘う体すら取っていない。
 女性陣に囲まれて一から十まで全て洗いざらい白状させられる未来が、透子の脳裏にありありと浮かんだ。潰されないといいな。いや無理だろうな……などと考えながら、透子は苦笑して頷くのだった。

 西岡はというと、透子が出社した時には既に出社して仕事を始めていたようだったが、姿は見えなかった。
 彼が自席に戻ったのは正午を過ぎてから。
 出張中もチャットやビデオ通話を駆使してコミュニケーションは取っていたものの、やはり対面の方が手軽且つ伝わりやすい。そのため自席にいる西岡の元へは、お昼時だというのにひっきりなしに人が訪れている。
 
 見かねた透子は、給湯室の冷蔵庫に入れていた西岡の昼食――今日は久しぶりにコンビニで購入したものだ――を取りに行くついでに、リフレッシュコーナーにも立ち寄った。
 彼は普段、透子に頼むことなく自らコーヒーを淹れているが、今日に限ってはコーヒーを淹れに行く時間すらなさそうだ。透子は設置してあるコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、加えて彼の好きなストレス軽減効果のあるビターチョコレートを持って彼の元へ向かう。
 
 ようやく人が途切れたのか、西岡は一心にキーボードを叩いていたが、透子の姿を目にすると険しかった表情をふっと和らげた。
 仕事場には似つかわしくない甘えが滲む視線で透子を見上げている。顔には疲労が顕現していて、透子は朝から働き詰めの彼を気の毒に思い、お昼ご飯とコーヒーを手渡した。

「ありがとう。マジで助かった。カフェイン切れて死にそうだったから」
「……お疲れ様です。死なないでくださいね?」

 げんなりと冗談を言う西岡にクスクスと笑い返す。こんな他愛のないやり取りにすら、胸がキュンと甘く疼いた。
 
 だが、その日彼と直接交わした会話はこれきりだった。その後はまた会議続きで、定時を過ぎても西岡は自席に帰って来なかった。仕事を終えてしまった透子は申し訳ないと空っぽの座席に後ろ髪を引かれる思いで、オフィスを後にするのだった。
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