恋はひと匙の魔法から
 翌日は取り付けてあった約束通りに、千晃の店へ手伝いに行った。
 突如自ら手伝いを買って出たので、怪しまれているかも……と内心ビクビクしていたが、それは全くの杞憂だった。
 千晃はいつも通りの態度で、義姉に至っては、溜めこんでいた事務作業を片付けられてありがたいと随分と前のめりで喜んでいて――

(まあ、結果的には良かったのかも)

 テーブルの上の後片付けをしながら、透子はうんうんと己を納得させるように頷く。
 西岡へ嘘をついたやましさはあれど、家族の手助けをすることは悪いことではないはず。そう自分に言い聞かせて罪悪感を払拭し、透子はダスターでテーブルを拭き上げる。
 
 西岡には、ラストオーダーを締め切った八時過ぎに近くの駐車場まで迎えに来てもらえるようお願いしてあった。約束の時間まではあと三十分ほどある。
 客のいないテーブルを全て拭き終え、洗い場の方を手伝おうと踵を返した。
 その時だった。
 入り口のドアがキィッと音を立てて開いた。
 透子はすぐさま入り口へ歩み寄り、「間もなくラストオーダーのお時間ですが、よろしいでしょうか?」と断りを入れるべく口を開こうとした。
 
 が、現れ出た長身の男性の顔が視界に入るやいなや、たった今述べようとした口上が頭の中で霧散してしまう。
 目を瞠り、唖然としながら立ち尽くしていると、目の前の彼――西岡が秀麗な眉を僅かに上げて慇懃に会釈した。

「コーヒーを一杯いただくだけなんですが、大丈夫ですか?」
「……へ?あっ、えっと、はい……大丈夫、です……」

 素知らぬふりで客として振る舞う西岡に面を食らい、しどろもどろになりながらも頷いた。
 空いている席へ案内するために彼へ背を向けると、噛み殺した笑い声が漏れ聞こえてきて透子の耳がカッと赤くなった。確実にからかわれている。

「あの……まだ早いですよね……?」

 席に着いた西岡へ、透子は声を潜めて問いかける。
 
 千晃にはなるべく西岡の存在を知られたくない。なぜなら、バレてしまっては面倒なことになるのが目に見えているから。
 透子はチラチラと落ち着きなく厨房へ視線を投げ、兄がこちらの様子を窺っていないか確認する。するとまた、西岡がクックッと喉を鳴らして笑うので、透子はムッと唇を尖らせた。

「冷やかしはNGですよ」
「そんなわけないだろ。でも、挙動不審になってる透子が面白いってのはあるかな」
「……やっぱりからかってるじゃないですか」

 膨れ顔を向けても、やはり西岡は笑みを浮かべたままだ。しかし、透子を見上げる瞳は愛おしさを湛えているように見えて、心臓がドギマギと脈を打つ。

「コーヒー、ホットでいいですよね?今お持ちしますっ……!」

 このままだと己の役目を忘れてしまう。
 透子は熱い視線に当てられて紅潮した頬を隠すように背けると、無理矢理注文を決めて足早に厨房へと逃げ込んだ。
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