恋はひと匙の魔法から

甘美な誘い

(どれがいいのか全然分かんないや……)

 視線の先には隙間なく陳列されたワインボトル。ラベルの色は様々だが、正直どれも同じに見える。
 考えあぐねた透子は、そっと嘆息を漏らした。

 きっかけは、単なる思いつきだった。
 休日に暇を持て余し、久しぶりにピザを生地から作ってみた。それでついでにワインでも飲もうと思ったことから始まった。
 折角ならスーパーよりも専門店の方が美味しいものが買えるのでは、という安直な考えの元、透子は会社の最寄駅の駅ビル内にあるワインショップに出向いていた。
 わざわざ休日にそこまで足を向けたのは、ただ単に透子の家の近所にそんなお洒落な専門店がなかったからにすぎない。
 
 店に来てみたはいいが、一つ問題が発生していた。
 酒に弱い透子にワインの良し悪しなんて分からない、というある種、致命的な問題が。
 個人的嗜好から白ワインに選択肢を絞ったまではよかったが、白ワインが並ぶ棚を上から順に眺めていっても途方に暮れるだけだった。
 
 この店はワインの試飲もできるらしいが、酔ってしまう気がして躊躇われる。
 本末転倒だがこの際もうどれでもよくなり、目の前に鎮座するボトルを取ろうと手を伸ばした時、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた、気がした。
 
 振り返ると、休日で賑わう雑踏の中に、西岡が立っていた。
 グレーのパーカーに細身のジーンズという、いつものスーツ姿とは違う、ラフなスタイルだ。透子はつい食い入るように見てしまいそうになるのをグッと堪える。
 
 そして、どうしてここに、と口にしそうになった問いかけを透子は飲み込んだ。
 この駅ビルが直結しているのは会社の最寄駅。つまりは彼の自宅の最寄駅でもあるわけで。
 どうしてここに、と問われるべきなのはむしろ透子の方である。

「透子は買い物?」
「はい。ワインを買いに来たんですけど、どれが良いのかさっぱりで」
「宅飲み?」
「いえ、一人で……」

 すると、西岡が怪訝そうに眉根を寄せた。

「一人でボトル……?透子が……?ワイン飲めたっけ?」

 正気か、と西岡の顔にありありと書かれている。
 透子はビール一杯で顔が赤くなる下戸だ。ワインはほとんど飲んだ試しがない。しかも、ここに並んでいるのはどれもフルボトル。
 
 なので、彼の言いたいことは非常によく分かる。分かるけれども……。
 
 これは家で飲む用だし、今日は本場っぽくワインでピザをいただきたい気分が出来上がってしまっている。家でいくら酔っ払おうと、誰にも迷惑は掛けないのだから、そこは許してもらいたい。
 透子は胸を張って、笑顔で西岡の訝しげな眼差しを振り払う。

「大丈夫です!飲むのは一杯だけにして、後は料理に使おうと思ってますから!」
「………………で、どれ買うかは決めた?」

 呆れ混じりのため息を吐かれたような気がするが、透子は聞かなかった振りをした。
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