恋はひと匙の魔法から
 シャワーを浴び終えた透子は、キッチンで足を止めてそのまま朝食の準備を始めることにした。昨日は食欲も湧かず、昼にまかないの親子丼を半ば押し込むように食べただけだった。流石に胃が空腹を訴えていて、キュルキュルと切なく鳴いている。
 
 透子の朝ごはんの定番は和食――ご飯と味噌汁、卵焼きだ。
 予め具材と出汁を味噌に混ぜ込んで作った「味噌玉」と、凍らせてストックしていた出汁を冷凍庫から取り出し、お湯を沸かしている間に卵焼きを作る。
 出汁と醤油、そしてみりんを混ぜた卵液をフライパンに流し込み、手早く淡々と巻いていく。
 いつもと変わりなく綺麗に焼き上がったものを一切れ齧ったところで、透子は異変に気がついた。

「まずっ……」

 いつも通りの分量で調味料を入れ、いつも通りの手順で焼いた。火加減も問題なかったはずだ。
 だというのに食感がポソポソとしていて舌触りが悪い。それに加えて出汁の味も卵本来の味すらも、水で薄めたようにぼんやりとしている。驚くほどに美味しくなかった。
 まるでスポンジを食べているようだ。
 心を無にしてひたすら咀嚼を続ける透子の脳内では、かつて祖母が困り顔で述べていた台詞が再生されていた。

『泣いてる時とか怒ってる時にご飯を作っちゃダメだよ。透子の場合は、本当に不味くなっちゃうからねぇ』

 原理はよく分からないが、三浦家の女性に代々伝わる『ご飯が美味しくなる魔法』は万能ではないらしい。
 感情の揺らぎによって味の良し悪しが左右するのだ。深く落ち込んだり、怒りに身を任せたり、そういうネガティブな感情を抱えたまま料理を作ると、とても食べられたものではない出来になってしまう。なかなか難儀な魔法だった。
 
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