恋はひと匙の魔法から
 さほど苛烈な性格はしていないと自負もしており、穏やかと評されることも多い透子は、怒りも悲しみもそう長くは持続しない性質だ。大抵の場合、感情の影響は受けずに美味しく料理を作ることができる。
 ただ、それでも過去に何度か、作ったものが極端に美味しくないという困った事態に陥ったことがあった。

 一番最近だと新卒から勤めていた総合商社を辞める直前。サポートしていた営業社員からのパワハラが激化した時もそうだった。
 最初は挨拶や問いかけを無視されたり、自分のミスを透子になすりつけたりといった小さな嫌がらせだった。恐らくきっかけは、彼から突然体の関係を迫られたのを断ったから。

 陰湿な嫌がらせは段々と悪化していき、仕舞いには何かしらの理由で毎日定時後に別フロアの会議室に呼び出され、延々と人格否定を含んだ罵詈雑言を浴びせられるようになった。
 
 理不尽に屈するのが嫌で、決して涙は流さなかった。しかし、日に日に自分の心から活力が奪われていって。
 その時に作った料理はどれも強烈な苦味があり、とても人間の食べる物とは思えなかった。ストレスで味覚ではなく、魔法が狂ってしまったのだ。
 やがて精神的疲労が限界にまで達すると、体が出社を拒否するかのように起き上がることができなくなってしまった。結局どうすることもできずに、そのまま逃げるように退職を余儀なくされたのだった。

 だが、幸運にもフェリキタスに転職できて、上司と同僚に恵まれたことでズタズタに踏み潰されていた精神は徐々に復調していった。西岡へ、憧れと共に淡い想いを抱き始めたことも影響している気がする。
 
 今は前職を辞めた時のような、辛苦で心身共に擦り切れ、消耗された状態とは違う。
 けれども暗澹たる想いがずっと胸裡に居座っており、シクシクと痛みを訴えている。それが形になって現れたものが、この味なのだろう。

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