捨てられ傷心秘書だったのに、敏腕社長の滾る恋情で愛され妻になりました【憧れシンデレラシリーズ】
「はぁ」
ロッカールームで大きなため息をつく。ここまでよく我慢したものだと自分を褒めたいくらいだ。
ロッカーの扉の裏にある鏡には、疲れた顔の自分が映っていた。色々あったせいでここ最近あまりぐっすり眠れていないせいだろう。
朝と夕方、出勤時と退勤時にこの鏡を見ている。今朝見た時は、退職願を出す日だと少し緊張していた。しかし、退職願は破られてしまい、あろうことか予想もしなかった事態に陥っている。
とにかく準備をしなくちゃ。
そこではっきりと断るつもりだ。社長を私の事情に巻き込むべきではない。
食事に行くのがどんな店なのかわからないが、今着ているスーツで行くしかない。箕島社長のことだ、そのあたりは考慮してくれると信じよう。
とりあえず今できるのは、化粧直しと髪を整えることくらいだ。ポーチから口紅を取り出して丁寧に塗ると、鏡の中の自分が幾分ましになったように思える。
その後、髪をひとつにまとめていたバレッタをはずす。さらさらと肩に髪がかかり、もう一度まとめ直そうと髪に手を伸ばしかけてやめた。そのままブラシで軽くといて整える。仕事中と同じ髪形だと、味気ないと思ったのだ。
別に意識してるわけじゃない。
誰に咎められるわけでもないのになんとなく言い訳をしながら、私は最後にもう一度鏡を見てからロッカーのカギを締めた。
あまり待たせてもいけない。ついさっき私用スマートフォンに社長から【地下駐車場に来るように】というメッセージが送られてきていた。
急いでエレベーターホールに向かい、ボタンを押した。しかしこんな時に限ってなかなかやってこない。焦る気持ちで待ったエレベーター内は、帰宅する社員でいっぱいだった。普段なら見送るが、社長を待たせているため、申し訳ないと思いつつ乗り込む。
地下駐車場に到着すると、社長の車が目の前にあるのが見えた。彼個人が所有する高級車だ。実際の値段は知らないが自分などが到底所有できないものであるのはわかる。今からあの車に乗る実感すら湧かない。
彼は私を見つけ、運転席から降りてきた。
「すみません、お待たせして」
「いや、そんなに待っていない」
「それにお車の手配が必要なら私が――っ」
謝罪を続ける私の唇に、社長の人差し指が添えられた。ドキッとしてそのまま黙る。
「仕事の時はお前がやるべきだが、今はそうじゃない。デートの時くらいは俺がやるべきだろう」
「デート……ですか」
「あぁ、そうだ。どうぞ」
彼は助手席にスマートに私を誘導する。私が乗り込んだのを確認するとドアを閉めて運転席に回った。
いつもと違う扱いに、ぼーっとしてしまう。今までかいがいしく世話をするのが自分の仕事だったのに、立場が逆転してなんだか落ち着かない。
社長は私がシートベルトをしたのを確認した後、車をゆっくりと発車させた。地下駐車場から地上に出ると、スムーズに走りだす。
歩道では帰宅する社員たちが駅に向かって足早に歩いている。社長の運転する車に乗っているところを見られるのは気まずいと落ち着かない気持ちになる。
いつもはその中のひとりのはずなのに、今はその光景を社長の車の助手席から眺めていて不思議な感じがした。
社長に目を向けると、リラックスした雰囲気で運転していた。
そう言えば、社長の運転する車に乗るのは初めて。
普段一緒に移動する時はたいてい、会社の運転手付きの車かタクシーだ。ある意味、今私はとても貴重な経験をしているに違いなかった。
いったい私はこの助手席に座る、何人目の女性なのだろうか。ふとそんな考えが頭をよぎり、なんてことを考えたのだろうかと驚く。
結婚なんて社長が言うから、意識しちゃったのかも……。
「百面相しながら、ひとりでなにを考えているんだ?」
「え、なんのことでしょうか?」
指摘されて初めて気が付いた。私、そんなに顔に色々表れてるの? 自分ではポーカーフェイスは得意だと思っていたのに。