交際0日ですが、鴛鴦の契りを結びます ~クールな旦那様と愛妻契約~
そこを偶然通りかかり、介抱してくれたのが、古嵐小梅の祖母にあたる女性、桜子だった。
目が覚めたら病院にいた祖父はあと一歩遅ければ…という危ない状態だったらしく、桜子さんがいなければどうなっていたか分からない。
祖父が健康を取り戻した頃、当時の社長、祖父の父親が急逝。祖父が跡を継ぐことになった。
その時祖父が亡くなっていたら、深山グループは混乱に陥り経営の危機にさえ見舞われていたかもしれない。

祖父の命と共に、深山グループの未来も救ってくれたと言っても過言ではない。桜子さんは俺たちにとって恩人だった。

祖父は社長になってから、会社と社員を自分の子どものように大事にした。
そして今は、そんな祖父が守ってきた深山グループを俺が任されている。

祖父は俺にその話を何度もして、次は自分が助ける番だけど、生きている間に機会がなければ俺に託す、と言って祖母の元へ旅立っていった。

しかし、その話を知るのは祖父と俺と、桜子さんだけだ。そして、桜子さんは祖父よりも1年ほど前に亡くなっていた。
忘れてはいけない大切な人たちとの関わり。祖父の望みを、絶対に叶えたいと思っている。

そんな折、外は大荒れだという日にトラブルが起き取引先に向かった帰り。
ひと仕事終えて、息をつく間もなく曇天の空を見上げて項垂れた。

台風予報のため、部下はほとんど帰宅させている。その際、傘を持っていないという間の抜けた後輩のひとりに傘を貸してしまったことを失念していた俺は、雨に降られながら走って会社を目指した。
電車はすでに止まっていて、渋滞するだろうからと車を置いてきたことを後悔しながら。

途中、さすがに走り続けるのに疲れて雨宿りをすることにした。
視界に小さな店の屋根を見つけて足を向けると、店員が暖簾を片付けているところだった。

店の前だったのか。入口に立っているのは邪魔だろうかと様子を伺うため声をかけた。

「少しだけ屋根を貸していただけないだろうか」

小柄な店員は俺を見るなり目を丸くして声を上げた。雨にも負けないくらいの大きなリアクションだった。

「びしょ濡れじゃないですか!寒いでしょう、そのままだと風邪をひいてしまいますよ。タオルがあるので、中に入ってください!」

彼女の気迫に流されるようにして中に入ると、雨音が遮断された静かな空間に少し気が緩んだ。
借りたタオルで体を拭う間、彼女は何かと話し続ける。
妙な静けさに居心地の悪さを感じさせないようなおしゃべりな女性。それでいてうるさいとも思わない心地よい時間だった。

学生時代から現在に至るまで、祖父譲りのこの無駄に整った顔と深山グループの跡取りという地位のせいで、女性の色目使いに心底疲れていた俺は、女性に対して苦手意識を持っていた。

だから女性といて心地よいと感じるなんて、自分に少し驚いたのだ。
タイミング悪く鳴いた腹に見かねた彼女が即席でお弁当を作ってくれてている間、彼女の話を聞いていて、俺はぴくりと反応した。

「古嵐定食…そうか。大変なんだな」

古嵐。まさかこんなに近くで、こんな形で出会うことができるとは思わなかった。
祖父から、今は近くで定食屋を営んでいるらしいとは聞いていたが。

彼女は誤魔化したけれど、ぽろりと経営難であることを零した。

「気をつけてくださいね」

「ああ。本当にありがとう」

最後まで笑みを絶やさなかった彼女に見送られた帰り道、雨が傘を打つ音を聞きながら考えた。

今が、その時なのではないかと。

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