交際0日ですが、鴛鴦の契りを結びます ~クールな旦那様と愛妻契約~
借りた傘のおかげでそれほど濡れることもなく会社に戻ってこられた。
社長室で早くスーツを脱ごうとエレベーターを待っていると、ふと隣に恰幅のいい男が並ぶ。
「台風でも社長さんは外回りか?社内はほとんど人がいないってのに、ホワイト企業も大変だな。ご苦労な事だ。まあ、おまえのじいさんも雨が降ろうが雪が積もろうが、会社のために走り回ってたからなあ」
かっかと呑気な笑い声をあげる彼は叔父にあたる人で、俺の両親の会社の常務だ。
1階に到着したエレベーターに乗り込み、社長室のある最上階のボタンを押す。
「お疲れ様です。綾瀬常務はどうしてこちらに?」
「ああ、お疲れ。一織に話があってな。おまえ恋人はいるか?」
突然脈略もなく本題に入るのはこの人の通常運転だ。
俺はもう聞き飽きた話題に内心ため息をつく。
こんな荒れた天気の日にわざわざ来るのだから仕事の話かと思ったが違うようだ。
「突然何かと思ったら。いませんし、作るつもりもありませんよ」
「まだ何も言っていないじゃないか」
どうせまた新しい縁談でも持ち込むつもりだろう。この人だって、今までに上手くいった試しがないのを知っているだろうに。よくもまあ凝りもせずに相手を見つけてくるものだ。
「丸山商事の娘さんがな、結婚適齢期を前にしても男っ気がまるでないらしい。丸山の社長が心配されていたよ。それで、うちにちょうどいいのがいるじゃないかと思って。どうだ、今度会ってみないか」
俺の素っ気ない態度など気にもとめず、彼は自分の言いたいことをひと息に話す。
まったく、どこの親も親戚もみんなそうなのか。子どもの未来を早々に決めつけて縛りつけようとする。言い方は悪いが、こちらとしては窮屈以外の何物でもない。好きにさせてやればいいものを。エレベーターを降りて社長室のソファについたところで、常務の目を見て言い放つ。
「申し訳ありませんがお断りしておいてください。俺はもう縁談は受けないと言いましたよね」
「そうは言ってもなあ、このまま一生一人でいるつもりか?跡取りはどうする。この会社をお前の代で終わらせるのか?」
「考えますよ。その辺りのことはなんとでもなります」
無理に一族経営を貫くことはない。時代と共にそんな考えが広まりつつあるものの、今の上層部はそんな考えが通用するほど柔らかくない。
はっきりとは言わなかったが、常務には伝わったらしく呆れたようにため息を吐き出した。
「おまえは顔はいいんだから、それで少しでも笑えば相手はすぐ見つかるだろうに。 一織のやる気がない時に見合いをしても上手くいかないのはもう知っている。…今回は見送るが、おまえも将来のことをよく考えるんだ」
常務が部屋を出て行くとやっと湿ったスーツを脱いで脱力する。
結婚。俺にできるんだろうか。常務が言うように、おそらくチャンスはいくらでも転がっている。『イケメン社長』だと有名らしい俺がその気になれば、そのチャンスは意図も容易く実を結ぶのだろう。
だが、社長夫人の立場がほしいだの贅沢がしたいだの、そんな目的で近づいてくる人間と誰が生涯を共にしたいと思うだろうか。
俺だって、表に出ないだけで感情はある。結婚ともなれば、誰でも彼でも構わないという訳にはいかないだろう。
敢えて言うなら、見た目で判断しない、俺の立場を知らない人がいい……―――
『びしょ濡れじゃないですか!』
――いや、待て。どうしてここで彼女の顔が浮かぶんだ。今日初めて会って、少し話しただけなのに。
…彼女は、最後まで笑顔だった。
――経営が厳しいと言っていたな。