【完結】鍵をかけた君との恋
 空気は変わり、ずんと少し重くなる。

「私はね、こればかりは正解なんてないと思うの。色々な事情があって中絶する人もいるし、喜んで出産する人もいる。産みたいのに流産してしまう人もいれば、望まないまま出産に至って、施設に子供を預ける人もいる。私がひとつ確かめたいのは……」

 真っ直ぐな瞳を向けられて、背筋が伸びる。

「乃亜ちゃんが描いている一年後の未来に、赤ちゃんはいますか?」

 しゃぼん玉のようにふわりとした彼女の口調は、命が懸かっているその問いに私が苦しまないよう、配慮してくれたのかもしれない。

「一年後の乃亜ちゃんは誰といて、何をしているかな」

 一年後、十六歳の自分。悩まずとも出てしまった答えに、涙の堤防が決壊する。

「わ、私の……」

 声を震わせた私の手は、陸が握った。

「私の一年後は高校に通っていて……コンビニで陸とお菓子買って食べて、勉強わかんないとか言いながらも、テストの前だけは頑張ってやってたりして……」

 次から次へと落ちる雫で、卓上には小さな水溜りができた。

「楓と恋バナして、おばさんとお茶飲みながらお母さんの昔話して……凛花とも遊ぶし、高校で新しくできた友達ともカラオケ行って、ばかやって。そ、その未来に……」

 水溜りは、広がっていく。

「その未来に、赤ちゃんはいないですっ」

 そう言い切ったところで、己のものではない泣き声が、真正面から聞こえてきた。顔を上げるとそこには、顔を手で覆う楓の姿。彼女はこもった声で言う。

「私も、乃亜ちゃんが高校行かないで子供を育てる未来は描けない。ごめんなさい……」

 私の為に泣いてくれる楓へ募る愛おしさに、涙が止まらなくなる。

 さめざめと泣く楓の肩に手を置いて、陸の母は言った。

「望む未来にお腹の子がいないのなら、選ぶ道はもう、ひとつしかないの」

 潤む瞳から落ちてしまいそうなものを必死に堪える彼女は、悲痛の中でも立派な大人だ。

「恋人の彼にちゃんとその思いを伝えて、彼のご両親にも話しなさい。もちろん、乃亜ちゃんのお父さんにもね。未成年の手術は、本人の意思だけではできないから。お金もかかることだしね」

 自分のお腹に手を添えた私は、罪悪感を感じていた。
 無知だった私の行動のせいで、ひとつの命が生まれて消える。命の大切さなんか、大好きな母を亡くしたあの日に目一杯痛感したはずなのに。

 落涙は止め処なく。陸がくれたティッシュもすぐに浸みた。陸の母は続ける。

「その選択が間違っているだなんて、私は絶対思わないわよ。今、乃亜ちゃんが流しているその涙は、お腹の子をちゃんと愛している証拠だもの」
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