伯爵令嬢は胸を膨らませる〜「胸が小さいから」と婚約破棄されたので、自分のためにバストアップしてからシスターになります〜
公園

わたくしを罠にかけるとは百億年早いわ

 鼻歌を歌ってしまいそうなほど上機嫌で、わたくしは公園を歩いていた。二月後半で正午前の日差しがあるとはいえ寒いので、パラソルではなくエンジ色のケープとマフを身につけての散歩である。同色のボンネットも耳が温かくて助かる。

 令嬢は午前に公園で散歩をして、昨夜の社交の情報を交換し合うものなのだが、わたくしは引退する身なので単純に散歩を楽しみに来た。足取り軽く、外に出たい気分だったのである。近所の公園なので馬車ではなく歩きで、目付け役の兄アルバートがいなくても問題ない数少ない場所である。

 大きな常緑樹に挟まれた道を歩いていくと、犬連れの婦人や、令嬢をエスコートする紳士とすれ違う。緩やかな曲がり道で、わたくしは前から歩いてくる人に気付いて思わず足を止めてしまった。

 トップハットにステッキ、外套、黒い服装のなかに浮かび上がる髪と肌と手袋の明るい色。

 ヴィンセントだった。

 正直進んで会いたくなかったが、どうせ知らんぷりしてもマナー違反で向こうから話しかけてくるのだろう。そう思っていたら、ヴィンセントと視線が交わった。軽く驚いたように目をしばたたかれて、微笑を飛ばされる。

『やあヘレナ。こんなところで奇遇だね』と来るのだろうと構えていたら、滑らかに通りすぎられた。

 え? 何事?

 振り返ったら、同じく振り返ったヴィンセントがいて、口元に手を当てて吹き出された。

「やあヘレナ。たまには男性から話しかけてはいけないってマナーに従ってみたんだけど、まさか君が振り返ってくれるとは思わなかったな。こんなところで奇遇だね」

 わたくしを罠にかけるとは百億年早いわこの快楽主義者が!

「ごきげんようさようなら」

 わたくしはもともと進んでいたほうへ歩き出す。

「あれ、帰るの? せっかくだから一緒に歩かない? 日差しも暖かくなってきたし」

「帰らないわ。来たばかりだし……着いてこないでくれる?」

「たまたま行きたい方向が同じなんだ」

「あなた反対側へ歩いていたでしょ」

「噴水が工事中だと思っていて見るのを忘れていたんだけど、工事が終わっていたのを今思い出したんだよ」

 また屁理屈を……。

 けれど今日のわたくしはものすごく機嫌がいいのだった、ということを思い出した。まあ魔王の愚行くらい大目に見よう。

 図書館に行ってから一か月。疎遠になりたいというわたくしの願いもむなしく、ヴィンセントはちょくちょくわが家にやってきて、お茶とお菓子を楽しんだり、当たりさわりのない話をしてきたりした。たまにサイラスのことを聞かれたが、ヴィンセントが何をしようとしているのかも知らないし、よく分からない知人のような状態になっている。

 そして協力条件となっている『わたくしの胸を大きくする』件だが、その成果についてはさすがに配慮してくれているのか聞いてこない。

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