月猫物語『遠いあの日の純恋歌」
 (話すんだぞって言われてもこうも緊張しては話せないぞ。) 健三は妙に無口になって刺身を摘まみ始めた。
静かな静かな空気が流れている。 と思ったら、、、。
「ハックショーーーーーン!」 鈴子がド派手なくしゃみをした。
「大丈夫かい?」 くしゃみに驚いた健三はチリ紙を持って鈴子の隣に座った。
「すいません。 ワサビが鼻に、、、。」 そう言いながらまたまたド派手なくしゃみをした。
 隣の部屋から龍之介の笑い声が聞こえてきた。 「笑ってるなあ。」
「お父さん 何やっても笑うんですよ。」 顔を拭きながら鈴子は恥ずかしそうに答える。
 「健三さんって優しいんですね?」 「そうかなあ? 自分じゃそうでもないって思ってるけど、、、。」
「前に好きだった人とは大違いです。 健三さんとなら付き合ってもいいかも。」 (話 早過ぎないか?)
 鈴子は吸い物を飲みながら学生時代の話を始めた。 楽しそうだね。
大学を卒業した後、龍之介が自分の会社に入れていろいろと手解きをしてきたそうだ。 1年が経ったところで嫁に出そうと決断したらしい。
 もちろん自分が死んだ後には会社を継がせるつもりだと中村に話していた。 (やっぱりそうだったか。)
健三は裏の話も聞きながら鈴子がどういう人間なのかを確かめたかったのだ。 見掛けは何処にでも居るお嬢さんである。
 でも親父さんに付いて仕事の現場を見てきた人だ。 ただ物じゃないことはすぐに分かった。

 健三が見合いの席で鈴子と何とか話をしている頃、東京は神田 神宮寺の家では、、、。
「健ちゃん、、、。 健ちゃん ごめんね。」 悪夢にでも魘されているような声で松代が健三を呼んでいた。 この家の主、公彦はそれがどうも気になって仕方がない。
 「松代、その健という男はどんな男なんだね?」 「私の幼馴染よ。」
「もしかして昔は恋仲だったとかいうのか?」 「健ちゃんは分からないわ。 でも私は好きだった。」
「松代の故郷は丹後原だったね? 今もその男はその町に住んでいるのかい?」 「居ると想うわ。 この町の土になるって言ってたから。」
 もう松代は起きていられない体になっていた。 薬だけでなく肝臓も病んでいた。
そんな松代が咳き込みながらでも健三の名前を呼んでいるのだ。 公彦は居たたまれなくなって使用人の男たちに健三という男を探すように命じた。
 「余命幾許も無し。 ならばせめて健三という男に会わせてやりたいもんだ。」 彼はパイプを燻らせながらそう思った。
やがて11月になる頃には健三の居場所も明らかになって公彦は松代の名前で手紙を書いた。 「届いてくれたらいいが、、、。」

 健三はというと緊張しまくりの見合いを済ませて疲れ切った顔で我が家に帰ってきた。 (いい人だとは思うが俺にはどうかなあ?)
何となく娘にしか見えない鈴子と一緒に暮らすのはどうなのだろうか? 「あれじゃあ親子だよなあ。」
そう思いながら今夜も焼酎を飲んでいるのである。 「おーい、健三は居るか?」
「何だよ?」 「おー、居たか。 ちょうどいい豆腐を持ってきてやったぞ。」
「ありがとよ。 たっぷり食わせてもらうぞ。」 「どうだったい?」
「ダメだねえ。 若過ぎて話にならん。」 「そんなにか?」
「ああ。 俺が48になるだろう。 相手さんはまだまだ23だ。 これじゃあ親子だぜ。」 「お前次第で何十人も子供を産めるじゃねえか。 すげえもんだなやあ。」
「感心してる場合かよ。 嫁さんじゃなくて娘に見えるんだぜ。」 「いいじゃねえか。 お前が60になったら相手さんは40だ。 若いもんだなあ。」
玉蔵じいさんは羨ましそうな顔でラッパを吹きながら帰って行った。 一人になった健三は七輪に秋刀魚を載せた。
内輪で仰ぎながらまたまた松代のことを考える。 「もうすぐ冬だよなあ。」
 親父さんも母さんも死んだのは冬だった。 小雪が舞う中で葬式をして荼毘に付したんだ。
火葬場で立ち上る煙を見ながら(あの煙に乗って天国に行くんだろうなあ。)なんて夢みたいなことを考えてたっけ。
 その後も長屋は取り壊されることも無くそのままにしてある。 いつか松代が帰ってきそうな気がしてな。
酔いが回ると布団をかぶってそのまま寝ちまうんだ。 一人男の気楽さよ。

 このアパートも建って何年になるんだろう? もう50年は過ぎてるよな。
畳だって焼けちまってボロボロだし天井も歪んできている。 いつか直さなければ、、、。
そう思いながら何年も経ってしまったんだ。 どうも面倒くさくてなあ。
向かいの長屋もb揃ってそのままに残してある。 その隣にも白壁のアパートが建っている。
誰もが一度は間違えるという丹後原のホワイトハウスである。 バス通りと反対側に行くと古くからやっている銭湯が在る。
 一応、女湯と男湯は別れているのだが時々女湯を覗こうとしてじいさんが騒動を巻き起こすんだ。
仕切りの壁の上のほうは通気口にもなってるから隙間が空いてるんだなあ。 そこによじ登って見てるっていうんだよ。
 「梅干しばかりで見応えも無かろうに。」って言ったら「とんでもない。 風呂屋の娘が入ってたりもするからそん時は儲けもんだぜ。」
「って言うけど娘っていったって40そこそこだろう? 大して、、、。」 「馬鹿だなあ。 風呂屋の娘はまだまだ結婚してないんだぜ。 正真正銘の娘っ子よ。」
「昼間からなんちゅう話をしてるんだい?」 「いいじゃねえか。 嫁の居ないもん同士 話してるんだ。 文句有るか?」
 おじさんたちの話となれば女か馬か、それとも? 取り留めの無い話をいつもしてるんだなあ。
 健三はというと、、、。 風呂に入ってもいつも隅っこで天井を見上げている。
みんなが気付いた時にはもう上がっていて中には居ないんだ。
 銭湯の二階は広間になっていていつも誰かがゴロゴロしている。 そうそう、葬式となればいつもここである。
だからか階段も緩やかに作ってあるんだ。 「いいか。 仏さんを驚かさんように下ろすんだぞ。」
玉蔵じいさんと若い衆が棺桶を抱えて降りていく。 この時ばかりは玉蔵じいさんも真剣な顔で指図をする。
 丹後原の隣、菊池山に坊さんが居るからお出でいただいて有り難いお経を読んでもらう。 しかし、この坊さん 忘れ物が多いでな、、、。
いつかの葬式の時にはお布施の包みを丸ごと忘れて行きおった。 そんなもんだから玉蔵じいさんが三輪車を飛ばして寺まで届けに行ったもんだ。
 ある時には導師御本尊を忘れて行ってなあ、ふくさんが大事に抱えて届けに行ったんじゃ。
「本当にあの坊さんは坊さんなのかね?」 「俺に聞かれても知らんわな。 寺に居るんだから坊さんじゃろうてな。」
「寺に居るから坊さんか。 なるほどなあ。」 ばあさんたちはクスクス笑いながら玉蔵じいさんを見やるのである。
 それにしても丹後原にもいよいよ冬の声が聞こえてきそうな時である。 朝もめっきり寒くなってきた。
健三だって長袖に身を包んで会社にやってくる。 そして部長と鉢合わせせぬようにささっと部屋に入るんだ。
 いつの間にか健三が見合いをしたことは部屋の連中の耳にも入っていた。 「康子さんが可哀そうじゃないか。」
そう言うやつも居る。 「それにしてもうまくいけば23歳のお嬢さんを貰えるんだろう? 羨ましいもんだねえ。」
そう言いながらじろっと健三を見やるやつも居る。 話は尽きないもんだなあ。
 そんな8日の月曜日。 仕事から帰ってくると郵便受けに少々大きめの封筒が入っているのに健三は気付いた。
「誰だろう?」 今頃手紙を寄越すような親類縁者も居ないはず。 裏の差出人を見てドキっとした健三は慌てて引き戸を開けた。
 差出人は神宮司松代となっていた。 (松代がなぜ?)

 土間に座り込んだ健三は急いで封を切って手紙を取り出した。

 『健ちゃん やっぱり私は間違っていたわ。 丹後原に残るべきだった。
私はあれから東京を転々としたの。 そして神宮司さんに拾ってもらった。
 でもそれも今では幻だったの。 私には健ちゃんしか居なかったのよ。
薬に溺れてしまっていつ死ぬか分からない。 肝臓も悪くなってるっていうから本当に生きているのも辛いの。
 毎日毎日咳が止まらないし寝ていても魘されてばかり。 いつも健ちゃんの夢ばかり見てるのよ。
私は馬鹿だった。 あのまま健ちゃんの傍に居れば良かった。
 死ぬまでに健ちゃんともう一度会いたい。 謝りたいの。
でももう健ちゃんも結婚してるかな? 邪魔だったらごめんなさい。
でも本当にもう一度だけ会いたい。』

 そこには東京暮らしですっかり変わってしまった松代の写真が添えられていた。 「すっかり変わっちまったんだな。 馬鹿野郎。」
ロングスカートにおしゃれなブラウス、ネックレスを下げて笑顔を見せているバー時代の松代である。 子供時代の面影はまるで無い。
玉蔵じいさんも唖然としてしまって言葉を飲み込んだまま焼酎を一気に煽ったほどだ。
「健三、こんな松代に会う気か?」 「今は今、松代は松代だ。 会いたいというのなら拒む理由も無かろう。」
「お前は芯まで優しい男なんだなあ。」 写真を見ながら玉蔵じいさんは二度三度と頷いて見せた。



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