月猫物語『遠いあの日の純恋歌」
3.
買い出しに行く振りをして女を殺したの見掛けた女を手に掛けただの陰惨な事件は後を絶たない。
何でまたこんな男が増えちまったのかね? やりたかったら働いて働いて金を貯めて女房を捕まえればいい。
それもしないで毎日毎日ムラムラしてたんじゃ体がもたんよ。 なあ、玉蔵じいさん。
「男らしい男になれ。」 飲みながらいつも親父が言っていた。
暴れるでもなく無き喚くでもなくお人好しでもなく冷たいわけでもない。 ちょいと難しいかもしれんがそれが男である。
喧嘩っ早いだけでもダメ。 気持ち悪いくらいに優しいだけでもダメ。
言うことは言い、やることはやる。 それが男だ。
校長も同じようなことを言ってたなあ。 難しいけどなあ。
あれだけ傍若無人だった親父も今は養老院の四畳ほどの部屋で小さくなって暮らしている。 酒も煙草も飲まなくなって弱くなっちまった。
寝ている枕元には若かった頃の母ちゃんの写真が置いてある。 死んだことも分からないらしくいつも写真を見ながら「会いに来い。」って呟いているという。
「あれでいてもてるらしいねえ。」 「そりゃそうさ。 お国様様なんだもん。 あんたの親父さんならもてるわよ。」
隣に住んでいる咲というばあさんが教えてくれた。
静かに静かに雲が流れ散っていく。 その隙間から青い空が滲み出てくる。
その青い空を小鳥たちが嬉しそうに飛んでいく。 「あらあら、おばあちゃんは何処に行くのかね?」
「買い物に行くのさ。」 「それならさっき私が行ってきたがね。」
今日も相変わらずのやり取りが続いている。 そんな養老院で親父は生きていた。
さてさて10月も中旬を過ぎた頃、部長の中島が健三に声を掛けてきた。
「やあ健三君。 見合いの話なんだがね、坂元町の料亭で会うことになったんだ。 君も来れるだろう?」 「は、はあ。」
「元気を出せ。 社長さんも君に会いたがってるんだ。 無事に縁談を済ませたら君も係長にしてやるよ。」 「いや、それは、、、。」
「まあいいじゃないか。 一生に一度の慶事だ。 パッと行こうじゃないか。」 中島は鼻歌を歌いながら行ってしまった。
(何とかばれずに済んだみたいだな。) 胸を撫で下ろした健三は書類の山に向かうのであった。
ホッとしたまではいいが、康子を取るのか鈴子を取るのか頭の中ではさっきから戦い続けている。 どちらもいきなり出てきた話である。
(康子もいい女だとは思うがどうもな、、、。 だからといって社長令嬢を嫁に迎えるのは、、、。)
朝、出勤すると事務室の窓を開けて必ず会釈する康子に健三はどうも恥ずかしさが先に立ってしまう。
「悪気が有ってやるわけじゃないんだ。 ただただ女に慣れてないだけなんだ。」 ささくさと逃げてきていつもそう弁解する。
しかしこの頃ではそればかりではないような気さえしてくる。 康子の顔がどうもはにかんでいるように見えて気になってしょうがないんだ。
仕事が終わるとこれまた飛ぶように会社を出ていく。 康子の顔を見るとどうも緊張するんでね。
そんな10月下旬の木曜日。 いつものように飯を炊いていると同級だった山中春樹がやってきた。
「健三、知ってるか?」 「何をだよ?」
「裕作が癌で死んじまったってよ。」 「何だって? 裕作が?」
「ああ。 俺もさっき母ちゃんから聞いたんだが昨日の夜だったそうだ。」 「あんな元気なやつがねえ。」
数年前、「子供って可愛いもんだぞ。」って嫁さんと一緒に遊びに来たあいつが、、、。
「だから明日は葬式だ。 お前も行くよな?」 「もちろんだ。 学生時代は俺たち蔓んでたんだもんなあ。」
春樹が帰った後、焼酎を飲みながら健三は裕作を思った。
いつだったか、あいつが商店の火事を消して大喪に褒められたことが有ったよなあ。
「俺がさあ散歩してた時、どっかで煙が出てるのが見えたんだ。 よくよく見たら近所の遠山商店じゃないか。」 「それでどうしたんだ?」
「近くまで行ってみたら台所から火が出てるんだ。 居間のガラスを突き破って入ってさ、どっかに水は無いかって探したら風呂にたくさん溜まってた。」 「それで?」
「だからさ、洗濯場のバケツを持ってきてぶっかけたんだよ。 そうしてたら玄関から親父さんが入ってきて、、、。」 「びっくりしたろうなあ。」
「だと思うよ。 俺を見て慌ててたもん。 「何やってんだ?」って聞くから話してやったら「おー、そうだったのか。 すまんすまん。」って何度も頭を下げてくれた。」
その後、親父さんは消防署に出向いて裕作のことを話したんだそうだ。 署長は裕作を呼んで褒めてくれたんだって。
その日は昼から用事が有って奥さんと二人で出掛けてたんだって言ってたな。 なぜ火が出たのかは分からない。
そんな裕作が死んでしまった。 仲の良かったやつがまた一人居なくなっちまった。
秋刀魚を焼きながら飲んでいるといろいろと思い出すんだよなあ。 奥さんも可愛い人だった。
「まあいいか。 人間 いつかは死ぬんだもんな。」 悟ったようなことをポツリと言ってみる。
外で仕舞い忘れた簾がカタカタと揺れた気がした。
翌日、取り敢えずの服を着て健三も葬式に参列した。 けれどやつの顔を見れなくてそのまま用事を言い訳に帰ってきた。
次の日曜日は部長に申し渡された見合いの日である。 なぜか今から落ち着かない。
「健三、今夜も飲むんだろうて。 大きな豆腐を持ってきたぞ。」 「ああ、ありがとう。 置いといてよ。」
「何だ? 素っ気ないなあ。」 「いやいやいいんだ。 置いといてよ。」
玉蔵じいさんも(今日の健三はどっかおかしいぞ。)と思いながら帰って行った。
(見合いなんてしたこと無いからなあ。 どうすりゃいいんだよ?) 母ちゃんの写真を見詰めてみる。 「お前らしくないなあ。 堂々としてなさいよ。 健三。」
そんな声が聞こえたような気がした。
さてさて日曜日。 健三は昼近くになって家を出た。 「おー、今日は決まってるなあ。 商談でもするのか?」
「違うんだよ。 料亭に行くんだ。」 「お前が料亭に? そりゃまたどうして?」
(見合いだってさ。) 「すげえなあ。 お前もやっと嫁を捕まえる気になったか。 行ってこい行ってこい。)
玉蔵じいさんに送られて健三はバスに乗り込んだ。 寺島町の松風という料亭らしい。
部長の中島も襟を正して来ているらしい。 緊張しちまうな。
寺島町と言えば母ちゃんが生まれた所じゃないか。 見合いが済んだら実家の墓参りでもするかね。
バスはいつものように凸凹道を走っている。 いつかは道路を新しくするらしいのだが、、、。
駅が見える。 寺島坂駅だ。 松代が汽車に乗った駅はここだったな。
1時間ほど走ってやっと料亭の傍のバス停に着いた。 降りてみると料亭は目の前である。
飾りっ気の無い玄関を入って奥へ進む。 一番奥の座敷の入り口に『杉本龍之介様ご一行』という札が立っている。
中から中村部長の笑い声が聞こえた。 「おー、健三も来たか。 まあ入れ。)
健三が縮こまった顔で中に入ると「こいつが健三です。 今日はよろしく見てやってください。)と部長が恭しく健三を紹介した。
「君が健三君か。 どっかで声を聴いたような気がするんだが、、、。) 杉本社長は首を傾げている。
「社長、こいつはそうそう外には出らんやつですから今日が初めてではないですか?」 「そうかそうか。 まあよろしく頼むわ。」
杉本龍之介は隣に座っている鈴子の右手を取った。 「健三君 私の娘の鈴子だ。 よろしく頼んだよ。)
そう言って健三に手を握らせるのだから思い切り焦ってしまう。 二人ははにかみながら向かい合った。
ある程度簡単な自己紹介というやつをしてからゆっくりと話を進めていくらしい。
中村は二人のお猪口に日本酒を注いだ。 「まあ乾杯しましょう。」
鈴子も鈴子でさっきから緊張して俯いたままである。 龍之介が音頭を取って取り敢えず四人は乾杯した。
「料理を持ってきてもらいましょう。」 中村が立つと女中が入ってきた。
そしてテーブルにお椀や皿が並べられていく。 煮物 焼き物 和え物に吸い物、、、。
酒のアテに刺身まで用意されている。 健三が普段は食べない物ばかりが並んだ。
「さあさ、食べながら話そうじゃないか。 健三君は趣味など有るのかね?」 「いやあ、何も。」
「鈴子さんは有るんですか?」 「私は裁縫が趣味です。」
「ほらほら健三 奥さんにはいい人みたいだぞ。」 とはいっても健三はさっきから上がりっぱなしである。
「中村さん 我々は隣で飲みましょう。 二人だけで話せるように。」 「そうですねえ。 おい、健三 しっかり話すんだぞ。」
「は、はあ、、、。」
何でまたこんな男が増えちまったのかね? やりたかったら働いて働いて金を貯めて女房を捕まえればいい。
それもしないで毎日毎日ムラムラしてたんじゃ体がもたんよ。 なあ、玉蔵じいさん。
「男らしい男になれ。」 飲みながらいつも親父が言っていた。
暴れるでもなく無き喚くでもなくお人好しでもなく冷たいわけでもない。 ちょいと難しいかもしれんがそれが男である。
喧嘩っ早いだけでもダメ。 気持ち悪いくらいに優しいだけでもダメ。
言うことは言い、やることはやる。 それが男だ。
校長も同じようなことを言ってたなあ。 難しいけどなあ。
あれだけ傍若無人だった親父も今は養老院の四畳ほどの部屋で小さくなって暮らしている。 酒も煙草も飲まなくなって弱くなっちまった。
寝ている枕元には若かった頃の母ちゃんの写真が置いてある。 死んだことも分からないらしくいつも写真を見ながら「会いに来い。」って呟いているという。
「あれでいてもてるらしいねえ。」 「そりゃそうさ。 お国様様なんだもん。 あんたの親父さんならもてるわよ。」
隣に住んでいる咲というばあさんが教えてくれた。
静かに静かに雲が流れ散っていく。 その隙間から青い空が滲み出てくる。
その青い空を小鳥たちが嬉しそうに飛んでいく。 「あらあら、おばあちゃんは何処に行くのかね?」
「買い物に行くのさ。」 「それならさっき私が行ってきたがね。」
今日も相変わらずのやり取りが続いている。 そんな養老院で親父は生きていた。
さてさて10月も中旬を過ぎた頃、部長の中島が健三に声を掛けてきた。
「やあ健三君。 見合いの話なんだがね、坂元町の料亭で会うことになったんだ。 君も来れるだろう?」 「は、はあ。」
「元気を出せ。 社長さんも君に会いたがってるんだ。 無事に縁談を済ませたら君も係長にしてやるよ。」 「いや、それは、、、。」
「まあいいじゃないか。 一生に一度の慶事だ。 パッと行こうじゃないか。」 中島は鼻歌を歌いながら行ってしまった。
(何とかばれずに済んだみたいだな。) 胸を撫で下ろした健三は書類の山に向かうのであった。
ホッとしたまではいいが、康子を取るのか鈴子を取るのか頭の中ではさっきから戦い続けている。 どちらもいきなり出てきた話である。
(康子もいい女だとは思うがどうもな、、、。 だからといって社長令嬢を嫁に迎えるのは、、、。)
朝、出勤すると事務室の窓を開けて必ず会釈する康子に健三はどうも恥ずかしさが先に立ってしまう。
「悪気が有ってやるわけじゃないんだ。 ただただ女に慣れてないだけなんだ。」 ささくさと逃げてきていつもそう弁解する。
しかしこの頃ではそればかりではないような気さえしてくる。 康子の顔がどうもはにかんでいるように見えて気になってしょうがないんだ。
仕事が終わるとこれまた飛ぶように会社を出ていく。 康子の顔を見るとどうも緊張するんでね。
そんな10月下旬の木曜日。 いつものように飯を炊いていると同級だった山中春樹がやってきた。
「健三、知ってるか?」 「何をだよ?」
「裕作が癌で死んじまったってよ。」 「何だって? 裕作が?」
「ああ。 俺もさっき母ちゃんから聞いたんだが昨日の夜だったそうだ。」 「あんな元気なやつがねえ。」
数年前、「子供って可愛いもんだぞ。」って嫁さんと一緒に遊びに来たあいつが、、、。
「だから明日は葬式だ。 お前も行くよな?」 「もちろんだ。 学生時代は俺たち蔓んでたんだもんなあ。」
春樹が帰った後、焼酎を飲みながら健三は裕作を思った。
いつだったか、あいつが商店の火事を消して大喪に褒められたことが有ったよなあ。
「俺がさあ散歩してた時、どっかで煙が出てるのが見えたんだ。 よくよく見たら近所の遠山商店じゃないか。」 「それでどうしたんだ?」
「近くまで行ってみたら台所から火が出てるんだ。 居間のガラスを突き破って入ってさ、どっかに水は無いかって探したら風呂にたくさん溜まってた。」 「それで?」
「だからさ、洗濯場のバケツを持ってきてぶっかけたんだよ。 そうしてたら玄関から親父さんが入ってきて、、、。」 「びっくりしたろうなあ。」
「だと思うよ。 俺を見て慌ててたもん。 「何やってんだ?」って聞くから話してやったら「おー、そうだったのか。 すまんすまん。」って何度も頭を下げてくれた。」
その後、親父さんは消防署に出向いて裕作のことを話したんだそうだ。 署長は裕作を呼んで褒めてくれたんだって。
その日は昼から用事が有って奥さんと二人で出掛けてたんだって言ってたな。 なぜ火が出たのかは分からない。
そんな裕作が死んでしまった。 仲の良かったやつがまた一人居なくなっちまった。
秋刀魚を焼きながら飲んでいるといろいろと思い出すんだよなあ。 奥さんも可愛い人だった。
「まあいいか。 人間 いつかは死ぬんだもんな。」 悟ったようなことをポツリと言ってみる。
外で仕舞い忘れた簾がカタカタと揺れた気がした。
翌日、取り敢えずの服を着て健三も葬式に参列した。 けれどやつの顔を見れなくてそのまま用事を言い訳に帰ってきた。
次の日曜日は部長に申し渡された見合いの日である。 なぜか今から落ち着かない。
「健三、今夜も飲むんだろうて。 大きな豆腐を持ってきたぞ。」 「ああ、ありがとう。 置いといてよ。」
「何だ? 素っ気ないなあ。」 「いやいやいいんだ。 置いといてよ。」
玉蔵じいさんも(今日の健三はどっかおかしいぞ。)と思いながら帰って行った。
(見合いなんてしたこと無いからなあ。 どうすりゃいいんだよ?) 母ちゃんの写真を見詰めてみる。 「お前らしくないなあ。 堂々としてなさいよ。 健三。」
そんな声が聞こえたような気がした。
さてさて日曜日。 健三は昼近くになって家を出た。 「おー、今日は決まってるなあ。 商談でもするのか?」
「違うんだよ。 料亭に行くんだ。」 「お前が料亭に? そりゃまたどうして?」
(見合いだってさ。) 「すげえなあ。 お前もやっと嫁を捕まえる気になったか。 行ってこい行ってこい。)
玉蔵じいさんに送られて健三はバスに乗り込んだ。 寺島町の松風という料亭らしい。
部長の中島も襟を正して来ているらしい。 緊張しちまうな。
寺島町と言えば母ちゃんが生まれた所じゃないか。 見合いが済んだら実家の墓参りでもするかね。
バスはいつものように凸凹道を走っている。 いつかは道路を新しくするらしいのだが、、、。
駅が見える。 寺島坂駅だ。 松代が汽車に乗った駅はここだったな。
1時間ほど走ってやっと料亭の傍のバス停に着いた。 降りてみると料亭は目の前である。
飾りっ気の無い玄関を入って奥へ進む。 一番奥の座敷の入り口に『杉本龍之介様ご一行』という札が立っている。
中から中村部長の笑い声が聞こえた。 「おー、健三も来たか。 まあ入れ。)
健三が縮こまった顔で中に入ると「こいつが健三です。 今日はよろしく見てやってください。)と部長が恭しく健三を紹介した。
「君が健三君か。 どっかで声を聴いたような気がするんだが、、、。) 杉本社長は首を傾げている。
「社長、こいつはそうそう外には出らんやつですから今日が初めてではないですか?」 「そうかそうか。 まあよろしく頼むわ。」
杉本龍之介は隣に座っている鈴子の右手を取った。 「健三君 私の娘の鈴子だ。 よろしく頼んだよ。)
そう言って健三に手を握らせるのだから思い切り焦ってしまう。 二人ははにかみながら向かい合った。
ある程度簡単な自己紹介というやつをしてからゆっくりと話を進めていくらしい。
中村は二人のお猪口に日本酒を注いだ。 「まあ乾杯しましょう。」
鈴子も鈴子でさっきから緊張して俯いたままである。 龍之介が音頭を取って取り敢えず四人は乾杯した。
「料理を持ってきてもらいましょう。」 中村が立つと女中が入ってきた。
そしてテーブルにお椀や皿が並べられていく。 煮物 焼き物 和え物に吸い物、、、。
酒のアテに刺身まで用意されている。 健三が普段は食べない物ばかりが並んだ。
「さあさ、食べながら話そうじゃないか。 健三君は趣味など有るのかね?」 「いやあ、何も。」
「鈴子さんは有るんですか?」 「私は裁縫が趣味です。」
「ほらほら健三 奥さんにはいい人みたいだぞ。」 とはいっても健三はさっきから上がりっぱなしである。
「中村さん 我々は隣で飲みましょう。 二人だけで話せるように。」 「そうですねえ。 おい、健三 しっかり話すんだぞ。」
「は、はあ、、、。」