月猫物語『遠いあの日の純恋歌」
 パープー パープー。 いつ聞いても悲し気なラッパである。
何故にあのラッパが豆腐屋の挨拶になったのだろうか?
 松代はラッパが聞こえると「豆腐が泣いてるよ。」っていつも言ってきた。 そして二人で三輪車を追い掛ける。
別に何をするってわけでもなく、ただただ追い掛ける。 その先に何かが有るような気がして。
 丹後原の町を一周すると玉蔵じいさんは店に戻ってドカッと椅子に座ってお茶を飲む。 家のほうではとみさんが近所のおばさんたちと井戸端会議をしている。
時々松代を見付けると「おー、来たのか。 まあ食べていきな。」なんて言ってお菓子を出してくれる。
それを二人で食べながら将来のことをあれこれと考えたもんだ。
 「まっちゃんも東京に行っちまってすっかり寂しくなったなあ。」 そんなことを言っていたとみさんも今ではすっかりボケてしまったらしい。
ちょうど大東亜戦争に負けてアメリカに取られていた沖縄が返された頃のことだ。 駄菓子屋のとめさんも松代のことを心配していた。
「やつなら新宿かどっかでいいやつを捕まえて元気にしてるんだよ きっと。」 「そんなこと言ってていいのかい? あれだけ仲良しだったのに。」
「いいんだ。 やつが東京に出るって決めたんだ。 その時に全ては終わったんだよ。」 「寂しいもんだねえ。」
 健三は豆腐屋の壁に飾られている古い写真をしげしげと見詰めた。 いつのかは知らぬが運動会の写真らしい。
赤い帽子の松代と白組の久子が走っている。
健三はというと誰もが驚くほど足が遅かったので何をやってもビリだった。 俺の特技は何だったんだろう?
 「健三君 君の特技は何ですか?」 新任だった国語の先生は彼に聞いたが答えられる特技が無い。
「そんなことは無いでしょう。 ほんとに無いんですか?」 彼は何度も健三に確かめた。
それくらいに健三には何も無かったんだ。 それで今は事務屋をしているんだ。
 東京もあっちこっちも焼け野原になった昭和20年の夏、青年は夢も希望も失って暗闇の中をさ迷っていた。 ご飯一杯を食べるのがこんなに大変だったなんて、、、。
だから彼らは我武者羅に働いた。 働いて働きぬいてここまでやってきた。
 そんな健三の家を訪ねてきた人が居た。 一番の親友だった山崎雄介が子供を連れてきたんだ。
「子供ってかわいいもんだぞ。 お前も嫁さんを見付けて早く作れ。」 雄介は奥さんから子供を受け取ると抱っこして見せた。
「とは言うけど彼女も居ないんだ。 無理だよ。」 「寂しい男だなあ。 明美ちゃんとか小百合ちゃんとか居るだろう。」
「でもこんな男には付いてこないよ。」 「そう思ってるから誰も付いてこないんだ。 考えろよ。」
 雄介が帰った後、それぞれの顔を思い出してみた。 明美は25歳、スーパーから転職して津村商事にやってきた。
読書好きで昼休みになるといつも本を読んでいる。 流行りの小説らしい。
 「お姉さんが何処だったかな、神保町だかどっかに嫁いでいるんです。 だからいつも新刊が出たら送ってもらってるんですよ。」 楽しそうに話してくれるのだが健三には今一ピンと来ない。
「面白そうだね。」とは言ってみるのだが神保町と聞いただけでなぜか松代のことを考えてしまう。
 小百合は30歳。 一度結婚したのだが旦那の酒乱に愛想をつかして出てきたのだという。
「あんなに酒癖が悪いとは思いませんでした。 酔ってくると誰彼構わずに手を出すんです。」 「根っからの遊び人だったのか。 可哀そうに。」
慰めてはみるのだが後が続かない。 健三は俯くしかなかった。
どちらも悪い女ではないのだが言葉が続かない。 健三はそれにもほとほと困ってしまった。

 机に向かって仕事をしていると女子事務員のひそひそ話が聞こえてきた。 「ねえねえ、今度の日曜日さあ芋掘りやるんだって?」
「ああ、毎年恒例のやつね。」 「どれくらい来るの?」
 (もうそんな季節化。) 健三はチラリとカレンダーを見やった。
もう10月である。 今度の日曜日は10日だ。
 丹後原ふれあい芋掘り大会。 町が仕組んだじいさんとばあさんのための健康イベントじゃないか。
春になると町が借り上げた畑にじいさんとばあさんを寄せ集めて苗を植えさせる。 その後は「健康のために、、、。」とか「長生きのために、、、。」とか適当な文句を並べて老人会に世話をさせる。
そいつが秋になると「さあさあ皆さんで芋掘りをして楽しく美味しく食べましょう!」ってなるわけだ。
 いつも健三の所に回覧板を持ってくるうめばあさんを思い出す。
「あんたもたまには芋掘りに出てみらんか? 若い子もいっぱい来てるぞ。」 「あんたの言う若い子って60くらいだろう?」
「そんなこと有るか。 30の子も来てるんだぞ。」 「まあ気が向いたら行くわ。」
気の無い返事をして健三はバタンとドアを閉めるのだ。 後は知らん顔で布団に潜り込んでしまう。
 芋掘りが終わると決まって玄関にドサッと芋を置いて行く人が居る。 ふくさんととめさんだろう。
(まったくもう、、、しょうもねえな。) そう思いながらその袋を取り上げるんだ。
 「健ちゃんも来ればいいのに。 大きな芋も掘れるんだぞ。」 「ダメダメ。 健ちゃんには芋より若い女よ。」
「そうかそうか。 食い気より色気か。 なるほどなあ。」 「じゃあさあ、そういうふくさんがお嫁さんになればいいじゃない。」
「あたしなんかダメだよ。 もーーーーっと若い子じゃないと。 ねえ、健ちゃん?」 「何でも勝手に言ってろや。」
「あらあらどうしたの? 機嫌でも悪くした?」 「そんなんじゃないけど、、、。」
「照れくさいのよ。 ふくちゃん、それくらい分かってあげて。」 「おー、すまんすまん。」
ほんとに勝手なことばかり言っているばあさんたちだ。

 健三の頭の中では課長から勧められた康子のことと部長から出てきた鈴子のことがまるで万華鏡のようにクルクルと回っていた。
(康子は35だって聞いた。 それに引き換え鈴子さんは23だって聞いた。 23でこんなおっさんの嫁になりたいか?) 杉本社長の縁談には裏が在りそうな気さえする。
(こんな小さな会社の一人の従業員に過ぎない冴えないおっさんに御令嬢を出すとは思えない。 俺を黙らせて津村を乗っ取る気じゃないんだろうなあ?) 聊か悲壮的な方向に考えが向いてしまう。
鳴かず飛ばずの事務員だからなのか、、、? それとも?
 卓袱台の前にドカッと座り込み焼酎を飲みながら彼は考えた。 「杉本の社長が俺なんぞに何で娘を出そうとしたのか?」
言うまでもなくそれは俺を黙らせて津村を分捕る作戦なんだろうな。 商売敵なら何処だってやるさ。
たまたまそれが俺だったっていうだけじゃないか。 でも23で本当に俺なんかの嫁になるのか?
健三は酔いの回った眼で天井を見上げた。
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