愛した人は剣奴だったから
7 罠
逃げるなら今しかない。姉に背中を押された後、早速、アデリアは決意していた。 

 オスベルの都には巨大な水道橋や無料の水飲み場や公衆浴場などを整備されていた。土木建築に関しては世界一の技術を誇っている。奴隷でさえも、毎日、公衆浴場を利用している。

 アデリアの屋敷の小屋は風呂窯の脇にあった。小屋の中には薪が整然と積み上げられている。そして、風呂鎌の近くには奴隷専用の厠が建っていた。三つ並んだ便座の底には水が流れるようになっている。

 王都では、どの家庭も下水路が完備されている。これらは浴槽や厨房からの排水を巧みに利用して作られている。

 ふと、長い影が近寄ってきた。やっと来てくれた。アデリアは、レンシーが厠の扉を閉める直前に踏み込んでいく。便座に腰を落とそうとしていたレンシーが動作を止めて唖然としている。

 アデリアは切羽詰まったように叫んだ。

「レンシー! あたしと一緒にここを出るのよ!」 

「えっ、もうユカラの屋敷に行くのか?」

「違うわよ! あたしと二人で国境を越えるのよ」

 すると、こいつは何を言っているのだと言いたげな顔つきになっている。

「なんで国境を越えるんだよ?」

「ユカラのところには行かせない! あの人はあなたを愛人にするつもりなのよ」

「愛人になるのか。それも悪くないかもな。犬みたいな腰を振っていればいいのさ。おまえと違って、あの女は淫乱だから相手をするのは怖い気もするけどな」

「いやらしいわね! 何なのよ。ユカラに誘惑されることを喜ぶような人だなんて見損なったわ!」

「おまえには言われたくないぜ。厠に入ってくるなよ。オレに構うな」

「あたしのことが嫌いなの?」 

「いや。別に嫌ってないよ。可愛いよ」

 意外な言葉に心がフアンと溶けた。彼は、どこか楽しげな顔でアデリアを見つめている。思わず、次の台詞に期待してしまい胸を高鳴らせていたのだが……。

「おまえは可愛い子犬みたいなもんだよ」

「ええーー、犬なの?」

「昔、森の中でオレを追いかけてきた子犬がいた。どんなに冷たくあしらっても尻尾を振って足の側にまとわりといていたんだよな。ションベンしていても、遠慮なく近寄るところが似てるのさ」

 犬扱いされてしまいガッカリしていた。愚弄されているようにも感じる。それでもいい。アデリアは心を震わせながら愛する人を見上げる。レンシーは自分にとってかけがえのない人だもの。ずっと側にいたい……。

「少ないかもしれないけど宝石をあなたにあげるわ。あたしと遠くに逃げましょう!」

「面倒なことに巻き込まないでくれよ。竈に火をくべてやるから風呂に入って休んでくれないか。おまえ等が休めば奴隷も休める」

「どうして、あたしは逃げてくれないの?」

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