愛した人は剣奴だったから
 華やかで残酷な興行に人々は酔いしれて興奮するのだが、レンシーには、あまり理解できないらしい。アデリアはオスベル人を代表して解説していく。

「元々、剣で闘う事が騎士身分の人達の宗教儀式だったそうなの。故人の魂を慰撫するの。高位の死者を弔うために主人に仕えていた奴隷が死ぬまで戦っていたの。その風習が剣闘士の起源だと言われているのよ」

 現在は、殺戮の瞬間を見て興奮する下品な娯楽になり下がっている。

「戦士達は死と背中合わせにしながら懸命に生きようとしているのよね。だから、観客は心を揺さぶられるのよ」

「生々しい戦争を知らないから、そういうものに安易に酔えるんだよ。オレは血なんて見たくない」

 彼は、それ以上は何も言わなかった。ここは、オスベルを南北に貫く河沿いの港街のミコノミスだ。海洋民族のススリア人を内地に移して創られた植民都市だ。砂漠と海を経由して、シナモン、カルダモン、胡椒、生姜などが運ばれてくる。

 河べりの埠頭には数多くの倉庫が並んでいた。

 もうすぐ選挙が行われるのか、倉庫の壁にも告知の板が貼られている。

『漁港組合の代表として告げる。トルマキオ・マルクス・バシリカを造営委員に選びたまえ。慈悲深き彼こそが相応しい』

『公衆浴場組合員、および風呂焚き仲間全員がパド・ロレンを推薦する! 彼こそが希望を与える偉大な人物なのだ!』

 公職選挙の板には、それぞれの支援者からの熱い推薦と賛辞の言葉が書き込まれていた。

 公共施設や神殿や港湾施設などを建設する権限を持つ者を選挙で選ぼうとしている。

 曲がりくねった下り坂の舗道を進んでいると、焼きたての香ばしいパンの匂いが漂ってきた。

 パン屋の裏庭を囲む木製の塀にも色々と落書きがされている。アデリアは立ち止まり、薄汚れた文字を指でなぞりなから読み上げていく。 

「サビィよ、いつまでもカモミールのように可憐に咲いておくれ……、ですってよ!」

「ここの娘に向けて告白しているのかもしれないな。そんなことより、飯だ、飯!」

 レンシーの語気が荒くなっている。

(あーあ。お腹が空くと不機嫌になっちゃうのね……)

 レンシーが古臭い居酒屋に入った。煮物の匂いが漂っている。厨房の前に細長いカウンターがあり、雄鶏の形をした水差しやおつまみ用の炒った豆の入った壷が置かれている。まだ時刻が早いので客はいない。

「さーてと、何を食おうかな」

 レンシーと一緒にお品書きを見たとのだが品数は少ない。はてさて、どういうふうに注文すればいいのだろう。アデリアは物珍しそうに居酒屋の中を見回した。

 大衆食堂に踏み込んだのは初めてだった。椅子や机が傷だらけで天井も壁も煤で薄汚れている。小汚いけど人気店のようである。扉の裏側にはギッシリと不埒な落書きが書き記されている。

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