愛した人は剣奴だったから
 実は、秘かに気になる異性がいる。名前は知らないが、その人を思い返すと頬に熱がこもり頬に赤味がさしてくる。アデリアの反応に気付いたテラスが身を乗り出してきた。

「あらあら、その顔は、いらっしゃるのですね?」

「ええっと、実は、二週間前に見かけた人なんたけど……。とても凛々くて美形なの」

「もしや、剣闘士でございますか?」

「いいえ。奴隷なのよ。たまたまユピテル神殿に向かっている途中で見かけたの」

「なんと、奴隷ですか……」

 さすがのテラスも唖然としている。反対されると思い、ずっと封印していたが、誰かに言いたくてたまらなかった。

「すっごく印象に残っているの。ずっと忘れられないの」

「あらあら、そのような顔をされるなんて珍しいですわね。ぜひとも、詳しく聞かせていたきたいものですわね」

 その人のことで頭は一杯なのだ。いつも面影がチラつき、寝ても醒めてもフアフアしてしまう。

「なぜか、その若者の後姿を見た瞬間にドキッとしたわ」

         ※

 屈強な八人の奴隷が輿を担いで移動していた。月に一度、アデリアは侍女と共に参拝する。

 壮麗な石造りの神殿は丘の上に聳えている。ゆるやかな坂道が続いていた。輿の速度が少しずつ遅くなっている。担ぎ手達も疲れていたのだろう。

 集合住宅の排水溝からは果物や動物の死骸を含む強烈な悪臭が漂う。ここが近道なのだというので我慢していた。顔をしかめてショールの先端で鼻をおさえていると、狭い路地の向こう側から太陽の光が差し込んできた。

 ふと、目に飛び込んできた若者の後姿にハッとなる。テラコッタの壷を肩に担いで歩いている奴隷の若者の衣服は粗末だ。それなのに、七色の光の帯を巻いたかのように堂々としている。

 目の前で交錯する光や音の渦を感じて陶然となった。あたかも前世での恋人と遭遇したかのような目映さを感じて胸が疼いた。

 建物に囲まれ道沿いに灰色のボロ布を纏う盲目の老人が座っていた。何日も食べていないのか枯れ木のように痩せている。縁が欠けた粗末な椀を差し出したまま、通行人を相手に物乞いをする様子は哀れを誘う。

 奴隷の若者は、腰を屈めると躊躇なく硬貨を椀へと入れていった。

 輿は、彼等の脇を通過していく。アデリアは奴隷の若者の横顔を紗幕の中から観察していた。彼の黒髪が肩まで伸びている。整った目鼻立ちは、一見すると女のようにも見えるほどに滑らかだ。

(随分と見目麗しい奴隷なのね……)

 老人を思いやる優しい横顔に見惚れずにはいられない。

 奴隷の若者は、スッと踵を返して歩き出すと、アデリアの輿と並列いるように形になった。アデリアの脇を彼は歩いている。意識すると妙に心が騒いだ。

< 7 / 104 >

この作品をシェア

pagetop